酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「いかりや長介という生き方」(いかりや浩一)

f:id:lp6ac4:20190921070003j:plain

いかりや長介という生き方 (幻冬舎文庫)

いかりや長介という生き方 (幻冬舎文庫)

 

 ザ・ドリフターズいかりや長介が亡くなった時、自分の親父が亡くなったようなショックだった。小さい頃から毎週「全員集合」を見ていたので。あまりに身近すぎてたのだろう……。

 

ミュージシャン、芸人、そして晩年は俳優として「生涯現役」にこだわり続けたいかりや長介。だが、その道のりは決して平坦ではなかった。二人の妻の死。男手ひとつでの子育て、ドリフターズ解散の危機、大根役者からの脱皮、突然の余命宣告、闘病生活…。再び舞台に立つ日を夢みて、最期まで闘い続けた姿を、息子の視点で綴った感動エッセイ」。「親父の遺言」改題。そのエッセンスを紹介しよう。

 
・2004年3月20日親父が死んだ。それは、私の父の死であると同時に、ミュージシャンにはじまり、コメディアンでもあり、役者でもあった男、いかりや長介の死であった。病名は、頸部リンパ節がんだった。
 
私にとって親父は、生きる鑑であり、人生の道標だった。
「男たる者、この世に生まれてきたからには、かく生きるべし」ということを
親父は自らの生き方をもって表現し、体で教えてくれた。時には鉄拳制裁もあったし、
男同士で酒を酌み交わしたこともあった。
 
親父は、父であり、親友であり、人生の師でもあった。本当に心の底から尊敬し、70歳を過ぎてさえ「格好いい」と思える親父だった。そんなすべての要素が、親父の全身に溢れていたのだ。
 
ガツンと叱った後には、必ずそのフォローをしてくれた。さんざん怒った後で、私と姉を遊園地に連れて行ってくれたり、一緒に風呂に入ってくれたりしたのだ。私にとって「パパ」は、そんな優しさと怖さを持った特別な存在だった
 
・親父の父が「一郎」で親父が「長一」だから二人とも「一」という字が入っている。ということになれば、碇矢家の跡取りとして、やはり「一」がつく名前そしてテレビのニュースで見た「浩宮さま」にあやかって「浩一」と親父が命名した。かくして、碇矢家に「一郎」「長一」「浩一」という、三代つづく「一」シリーズが完成した。
 
・親父がよく言っていたことに「5つの教え」がある。ありがとうと言える人間になれ。ごめんなさいが言える人間になれ。嘘をつく人間にはなるな。人に迷惑をかけるな。泥棒はするな」この5つだ。
 
 
「ビール瓶事件」はスゴいなあ!自分の父を思いだす。あの時代の父親ってこんなカンジだったのかも。ドリフファン必読!オススメです!(・∀・)

 

f:id:lp6ac4:20190921070003j:plain

いかりや長介という生き方 (幻冬舎文庫)

いかりや長介という生き方 (幻冬舎文庫)