
唐の都、長安に帰って来てから、唐の第二代皇帝太宗から、
「あなたは生き神さまで生き仏だ。この世の宝なので、 すべての人がこの玄奘さまの言うことを聞くように」
という扱いを受けることになります。
眉目秀麗、なおかつ、 尊敬を一身に浴びる三蔵法師となった玄奘は、 夜な夜なスナックに出かけては、美味しい食べ物を要求したり、 美味しい酒を要求したりできる立場にありました。 たぶんスナックの女の子たちからは「キャー、 玄奘さま〜」と騒がれるような、 ありとあらゆる要素を備えていた人だったのです。
しかし、玄奘はまったくそれをしませんでした。 それは、 スナックに遊びに行ったがそうしなかったということではなくて、 大慈恩寺という寺の三キロ四方ほどの囲いの中から十八年間、 まったく出ることをしなかったのです。 死ぬまでこの慈恩寺の中におり、 原語の仏教典を漢語訳することに明け暮れました。 亡くなったのが、西暦六六四年。 長安の都に帰った六四五年から満十八年ほど、ただただ漢語訳に明け暮れました。 寺の外に一歩も出なかったのです。『西遊記』にいう玄奘が、 どんなに苦労をして天竺までたどり着いたかということは、多くの人が知っていることです。しかし、 ほんとうに玄奘のすごさ、 この人の素晴らしさを語るには、 帰ってきてからの十八年間を語らなければいけません。
眉目秀麗で、尊称・尊敬を一身に集め、そして、「国の宝だ」「生き神さまだ、生き仏さまだ」という扱いを受けて、 人間はそこでいい気にならないでいられるものでしょうか。 そうならないことが、この玄奘のほんとうのすごさなのです。

