「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

MESSAGE&BOOK〜「生き仏 玄奘三蔵」(「釈迦の教えは「感謝」だった」より)

 
昨日紹介した、小林正観さんの「釈迦の教えは「感謝」だった」の中に、どうしても記録しておきたいメッセージがあった。それが玄奘三蔵。備忘録として紹介しておこう。
 
玄奘三蔵は、身の丈七尺という大男でありながら、生涯、眉目秀麗、 見た目が大変に美しかったと記録に残されています。大変なハンサムであったとのことでした。
 
唐の都、長安に帰って来てから、唐の第二代皇帝太宗から、
 
「あなたは生き神さまで生き仏だ。この世の宝なので、すべての人がこの玄奘さまの言うことを聞くように」
 
という扱いを受けることになります。
 
眉目秀麗、なおかつ、尊敬を一身に浴びる三蔵法師となった玄奘は、夜な夜なスナックに出かけては、美味しい食べ物を要求したり、美味しい酒を要求したりできる立場にありましたたぶんスナックの女の子たちからは「キャー、 玄奘さま〜」と騒がれるような、ありとあらゆる要素を備えていた人だったのです。
 
しかし、玄奘はまったくそれをしませんでした。それは、スナックに遊びに行ったがそうしなかったということではなくて、大慈恩寺という寺の三キロ四方ほどの囲いの中から十八年間、まったく出ることをしなかったのです。死ぬまでこの慈恩寺の中におり、原語の仏教典を漢語訳することに明け暮れました。 亡くなったのが、西暦六六四年。長安の都に帰った六四五年から満十八年ほど、ただただ漢語訳に明け暮れました。寺の外に一歩も出なかったのです。西遊記』にいう玄奘が、どんなに苦労をして天竺までたどり着いたかということは、多くの人が知っていることです。しかし、ほんとうに玄奘のすごさ、 この人の素晴らしさを語るには、帰ってきてからの十八年間を語らなければいけません。
 
眉目秀麗で、尊称・尊敬を一身に集め、そして、「国の宝だ」「生き神さまだ、生き仏さまだ」という扱いを受けて、人間はそこでいい気にならないでいられるものでしょうか。そうならないことが、この玄奘のほんとうのすごさなのです。
 
ありとあらゆる栄誉や賞賛を浴びて、その結果として、あちこちに遊び歩きたいであろう、普通の人だったらそうなるであろうような状況で、玄奘は外に出るどころか、来る日も来る日も原典を漢語に訳し続けました。そして、寺の外に一歩も出ることなく、漢語訳を全部終えて死んでいくのです。玄奘三蔵のそのすごさは、天竺に行って帰ってきた十六年よりも、帰ってきてからのこの十八年のほうにあると思います。これだけの人は人類の歴史上でも、なかなかいないのではないでしょうか。
 
……スゴイ……玄奘三蔵をそのようにさせたお釈迦さまがスゴイ……。えーっとどこかに「爪の垢」ないかな!?(笑)超オススメです。(=^・^=)