「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「されど紅白歌合戦」(蕪木和夫)

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されど紅白歌合戦

されど紅白歌合戦

 

 ワタシの長年の夢である紅白歌合戦に出場し白組の勝利に貢献する」というモノ。

今年はまだNHKからお声がかからないなあ……。(笑)いつかほんとに出てみたいっ! 

さて、その前に予習しなきゃ!φ(..)メモメモ (笑)

「第1回(昭和26年)より第46回(平成7年)まで全出場者名と唄った曲名(平成7年は予想曲)を掲載。―歌手たちの出場ドラマを活写した、ファン待望の書」そのエッセンスを紹介しよう。

 
NHK独自のモノサシで歌手たちの人気、実力を診断している。その一つとしてNHKに対する貢献度というのがある。つまりNHKの歌番組(「のど自慢」「歌謡コンサート」など)に対してどれだけ出演交渉に応じているかということだ。NHKの出演料は民法に比べると話にならないくらい格安である。俗に謂う「お車代」程度のギャラしか支払われない日に300万、500万という営業ができる歌手をタダ同然で二日三日も拘束されるのだ。それなら断ればいいだとうと思われるかもしれないが断ると年末が怖いのだ。つまり「紅白」でのしっぺ返しがあるから目をつむって「のど自慢」のゲストを引き受けているという歌い手たちの偽わらざる心境だろう。
 
歌い手にとって、とりわけ演歌歌手にとっての「紅白」もまさに「甲子園」だと思う。紅白歌合戦のルーツは終戦の昭和20年の大晦日NHK(当時、内幸町)の第一スタジをで非公開に行われた。その名も「紅白音楽試合」である。なんでも時節柄合戦呼ばわりは御法度だったので、「試合」と相成ったという。紅白の司会者が水の江滝子白組の司会者が古川緑波で出場歌手は紅白合わせて10名という小規模のものだった。
 
・「十両から幕内に上がった気分です」(香田晋
「親孝行には「紅白」が一番です」(嘉門達夫
「もういつ死んでもいいですね」(松原のぶえ
「ボーッとしちゃいました。うれしすぎてボーッと」(尾形大作
「連絡を聞いた時、金しばりにあったようでした」(山川豊
「これでお嫁に行けます」(テレサテン)
「甲子園に出た時よりうれしい」(山本譲二
「早くお母さんに知らせてあげたい」(田原俊彦
 
その他、「夢を抱いて耐えた遅咲きの大輪・小林幸子」「時代を自らの力で開けた人生応援歌の主・水前寺清子」「大いなる一勝3敗の歌謡人生に乾杯!五木ひろし」「紅白歌合戦史の人選を斬る」「これであなたも紅白博士」など。

 

ああ〜出たい!歌いたい!親孝行したい!♪ 音楽ファン必読!オススメです!♪

 

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されど紅白歌合戦

されど紅白歌合戦