さあて、ときどき読みたくなる東海林さだお氏の文章。一日の、一週間の、一ヶ月の疲れを癒やすこの文体。いいわー!(笑)
最新刊がこの本。「 おいしい、とか、おいしくない、とか言っていいの?ラーメン、牛丼、はんぺん、トコロテン、天かす…いとしくて、残念な食べ物の数々。ショージ君的B級グルメ考、ここに極まる!」そのエッセンスを紹介しよう。
・人生に残念は付きものである。
残念のない人生はない。
こういうことってありませんか。
「あっ残念だな、この人」と思ってしまう人。
食べ物にもそういう残念感が漂っているものがいくつかある。
スルメもまた残念の極みの食べ物である。
残念感横溢(おういつ)、全身残念のカタマリ。
何が残念かって、ペッタンコのあの姿。
スルメの元の姿(イカです)を考えてみてください。
丸く筒状、プックリふくらんでスイー、 スイーと海の中を自由に泳いでいたわけです。
生き物を、ああまで、ペッタンコにしていいものなのか。 仮にも生き物だぞ。
人道上という言葉があるが、イカ道上許されるのか。
揚げ玉。
揚げ玉もまた残念のカタマリである。
「残念の女王」と言っても過言ではないぐらいの存在である。
天ぷら屋で天ぷらを揚げる時、 海老の天ぷらの海老からたくさんのコロモが、ジュッと
いう音とともに散った瞬間、 それまでの天ぷらのコロモという名前の変更を余儀なくされる。
天ぷらのコロモという身分から天かすという身分になる。
まさに一瞬の差なのだ。
「あのとき何とかしてしがみついていれば」 と天かすは残念でならない。
片や高価な海老と同格、片や30円。
その他、「ラーメン行動学」「
「残念な人たち」は、特に懐かしいっ!(笑)オススメです!♪