「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ざんねんな食べ物事典」(東海林さだお)

f:id:lp6ac4:20190918231839j:plain

ざんねんな食べ物事典 (文春e-book)
 

 さあて、ときどき読みたくなる東海林さだお氏の文章。一日の、一週間の、一ヶ月の疲れを癒やすこの文体。いいわー!(笑)

 
最新刊がこの本。「 おいしい、とか、おいしくない、とか言っていいの?ラーメン、牛丼、はんぺん、トコロテン、天かす…いとしくて、残念な食べ物の数々。ショージ君的B級グルメ考、ここに極まる!」そのエッセンスを紹介しよう。
 
人生に残念は付きものである。
残念のない人生はない。
こういうことってありませんか。
「あっ残念だな、この人」と思ってしまう人。
食べ物にもそういう残念感が漂っているものがいくつかある。
 
スルメもまた残念の極みの食べ物である
残念感横溢(おういつ)、全身残念のカタマリ
何が残念かって、ペッタンコのあの姿。
スルメの元の姿(イカです)を考えてみてください。
丸く筒状、プックリふくらんでスイー、スイーと海の中を自由に泳いでいたわけです。
イカの姿煮、イカめしだって丸くプックリしているからこそみんなに愛されているのだ。
その丸くてプックリ生き、丸くてプックリ料理されれいるイカを何もあそこまでペタンコにしなくてもいいのではないか。
生き物を、ああまで、ペッタンコにしていいものなのか。仮にも生き物だぞ。
人道上という言葉があるが、イカ道上許されるのか。
 
揚げ玉。
揚げ玉もまた残念のカタマリである。
「残念の女王」と言っても過言ではないぐらいの存在である。
天ぷら屋で天ぷらを揚げる時、海老の天ぷらの海老からたくさんのコロモが、ジュッと
いう音とともに散った瞬間、それまでの天ぷらのコロモという名前の変更を余儀なくされる。
天ぷらのコロモという身分から天かすという身分になる。
まさに一瞬の差なのだ。
「あのとき何とかしてしがみついていれば」と天かすは残念でならない。
片や高価な海老と同格、片や30円。

 

その他、「ラーメン行動学」「歯はこう磨けば出世できるー歯磨きの適正速度を考える」「何でも面白がってやろう」「痒い!の研究」「残念な人たち」「風景に油断してはいけない」「ヘビは長過ぎる?」「山田太郎を糾弾する」など。

 

「残念な人たち」は、特に懐かしいっ!(笑)オススメです!♪

 

f:id:lp6ac4:20190918231839j:plain

ざんねんな食べ物事典 (文春e-book)