「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ビートルズを知らない子どもたちへ」(きたやまおさむ)

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ビートルズを知らない子どもたちへ きたやまおさむ著

ビートルズを知らない子どもたちへ きたやまおさむ著

 

わたしが子どもの頃、山田隆夫くん引きいるずうとるびがデビューした。その後ビートルズを初めて知り、ずうとるび」のパクリのグループか!と思ったものだ!(笑)

 

さてこの本。「あの〈革命〉は、いったい何だったのか。自己の〈二重構造〉に苦しみながら、世界を手玉に遊び切った〈素晴らしい4人(ファブ・フォー)〉。〈ビートルズ現象〉の深層をみずみずしい感性で読み解いた名著ビートルズ(講談社現代新書)、待望の新装復刊!」そのエッセンスを紹介しよう。


・これはまだ仮説なのだが、才能のあるところには問題があるといわれる。天才は解決しなくてはいけない問題に直面しているのであり、問題が多いからこそ、その問題を解かなくてはいけないとう要請に応えて才能が生まれる、という論理である。ビートルズが不幸な子ども時代を送ったという理解は、けっしてビートルズの仕事を台なしにするためのものではない。われわれがこの国にビートルズを迎え、そして育てるためのものでなければならない。ビートルズの内部にも、対立はや敵対、人間関係の歪みがみられる。しかしビートルズが発表するものすべてが、それらの問題を土台や素材にして創り出されていたのである。

ギターを持って歌う人々は、その歌うという行為のほとんどを、ひとりで行う。われわれには人前で歌う彼らしか知らされないが、彼らのとっては、曲を作るとき。また練習のとき、ひとりで歌う時間は、人前で歌う時間よりもはるかに長いのである。そして、そのギターを持って自分で歌うという行為のなかには、自分で自分に歌いかけるという自己慰安的な要素がある。とくに、録音機器がある場合が、そうなりやすい。シンガー・ソングライターという、自分で作った唄を自分の声で歌う人たちは、すべて自分の歌声に聞き惚れているうちに、他人をもその自己愛の世界に巻き込んでいける力をもつようになるのである。

・ジョン「私が13歳のときでした。自分は天才にちがいない、といつも考えていたのですが、私が天才であることに誰も気がつかなかったのです。私は天才だろうか、それとも狂人だろうか、と私はよく考えたものです。どちらでしょう。誰も私を精神病院に入れたりしないのだから、狂人ではないのだろう。従って、私は天才なのだ、と考えていたのです」

ビートルズが「ビートルズ」でありえたのは、ビートルズがあの音楽を作って、それを夜の中に提供したときにすでに表面化していた「やり方」がビートルズ的であったからである。コンサートの仕方、レコードの作り方、服の着こなし方、あるいは内容の変わり身の早さ、そして、あっという間に解散してしまったというそのやり方が、とても楽しく緊張に満ちていて、魅力的だったのだ。

・自らの伝説を神話とすべく、日本の多くのミュージシャンがギターを手に取った。自分で曲を書いていいんだ、何を歌ってもいいんだ、というメッセージのおかげで、やがて70年代の「ニュー・ミュージック」へのひとつの軌跡が描かれていくことになる。同時に、どこまでがビートルズの責任であるかは疑問だが、「何をしながら、何をやってもいいんだ」といういような、説明のしようのない「自由」が売りに出された。「みんな」が素人なのに、学校に通ったり別の仕事をしながら、イラストレーターやデザイナーを自称したり、音楽を始めたりして、私もまた、大学へ通いながらテレビに出たりした。当時の日本では、トランジスター・ラジオの普及で一人一台のラジオを手に入れた多くのファンは、勉強をしながら、車を運転しながら、誰かと恋を語り合いながら、なにか別のことをしながら「ビートルズ」に出会っていた

・1964年2月、アメリカに着いた彼らは、まず記者会見を行った。

記者:ベートーヴェンをどう思う?
リンゴ:いいね、とくに彼の詩がいいねえ。
記者:全員カツラをかぶっているという噂がありますが?
ジョージ:そのとおりでさ、みんなハゲでさ、おまけに耳も聞こえず口も聞けないんでさ、記者会見ができるのが不思議でさ。
記者:ビートルズ成功の秘訣はなんですか?
ジョン:それがわかればね。ビートルズなんかやめて、いまごと新しいグループ作って、マネージャーやってるさ。
記者:これまでに訊かれたことのない質問は?
リンゴ:それも初めてじゃないよ


・マスメディア内現実のプレイ・バックの方法をまだもたなかった時代のわれわれは、誰も「ビートルズ」をビデオに録ってあとで観ればいいとは思わなかった。あのとき、あのビートルズを、あの時代に経験しなければならなかった。ビデオがない時代、彼は受け手がリクエストしなければやってこなかった。放送局にリクエスト・カードを書くということが、あのときの青春には必要な作業だった。その希いに応えてラジオやテレビが同じ「現実」を再生して送ってくれることを、多くの人々が祈るようにして待った。

ビートルズはあらゆる特定の意味を超えて、マス的なものと個的なもの、クラシックとポップス、黒人音楽と白人音楽、挑発的なメッセージと無意味なサウンド、イギリスとアメリカ、西洋と東洋、男と女、悪人と善人、育ちの良いものと悪いもの、無教養者と知識人、単純なものを複雑なもの、おとなと子ども、そして宇宙と地球、こういったあらゆる対立を縦横無尽にカヴァーしつづけることでビートルズ百貨店」という世界を創り上げたのであり、そのことそのものが、オリジナルだったのである。

 

久しぶりにビートルズを聴きたくなりました!ファン必読っ!オススメです!♪

 

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ビートルズを知らない子どもたちへ きたやまおさむ著

ビートルズを知らない子どもたちへ きたやまおさむ著