「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「北山修 きたやまおさむ 百歌撰」

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北山修/きたやまおさむ 百歌撰

北山修/きたやまおさむ 百歌撰

 

ワタシが大好きな作詞家・北山修。(・∀・) ♪ ザ・フォーク・クルセダーズのオリジナルメンバーであり、現在も精神科医、作詞家として「風」「白い色は恋人の色」「あの素晴らしい愛をもう一度」「戦争を知らない子供たち数々の名曲を世に送り出している。

 

実は、ワタシがなぜ毎年「バースデイライブ」をやっているのかというと北山修のアルバム「25歳ばあすでい・こんさあと」「35歳バースデイ・コンサート」が影響しているのだ!

 

さてこの本。約40年間にわたって紡がれた歌詞の中から、リスナーによるアンケートと自選を合わせて百篇あまりの詞を収載。自身による回想もよせている。そのエッセンスを紹介しよう。

 
 
「歌う精神科医
 
歌手として、また歌謡曲の作家として、けっこう成功したのにどうして医者になったんだと聞かれることがある。答えはやっぱり、不特定の聴衆に対して言葉を紡ぎ出すよりも、特定の人間と交流したほうが手応えがあるし、楽しいに決っているからである。医者とうい仕事では、目の前にいる患者の体に触れて、普通はめったに接近できない領域に関わっていく。患部に直接触れるという仕事は、マス・コミュニケーションにはできないことなのである。また、同じ歌を歌うのも苦痛だし、似たような歌を大量生産するのも飽き飽きするものだった。マスコミの方には失礼な言い方かもしれぬが、正直、この飽きた」という言葉がふさわしい。だから、私の歌は、マス・コミュニケーションというよりもパーソナル・コミュニケーションだった。別れの歌を書くのなら、本当に別れる人に向けて書きたかった恋の歌なら、本当の恋人に向けて書きたかった
 
精神科の仕事に特定の誰かに向けて特定の歌を書き上げるという価値があるとすれば、患者の歌いたい歌の伴奏をするのも精神科医の仕事だと言える場合がある。しかし、患者の歌が、また患者のために私の書いた歌が、治療室を出て一般聴衆に広く受け入れられることは少ないだろう。
 
どのようなニュースも、どのようなフィクションも、医療の現場の生々しいドラマには勝てない。生死や狂気が交錯するところに参加しながら、同時に病理に観察する医師は、世界で一番面白い歌を聴き、世界で一番新鮮な小説を読んでいるのである
 

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特に、あの素晴らしい愛をもう一度」「一枚の絵」「うしろむきの電車」「美しいものたちよ」「エンドマーク(2’46)」「おくれてきた少女」「男どうし」「風」「北の海の道」「さようなら」「さらば恋人」「白い色は恋人の色」「青春のわかれ道」「戦争を知らない子供たち」「題名のない愛の歌」「旅人の時代」「This Island(is your land)」「積木」「涙は明日に」「花のように」「花嫁」「ピンクの戦車」「僕の歌」「夕陽よおやすみ」「夢」「イムジン河」「孤独のマラソン・ランナー」「世界は君のもの」「帰って来たヨッパライが大好きっ!♪

 

いいなあ!久しぶりに北山修が聴きたくなりました!詞だけでは物足りない!オススメです!♪

 

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北山修/きたやまおさむ 百歌撰

北山修/きたやまおさむ 百歌撰