またまた全巻読破を狙っている東海林さだお氏の本。いつもながらアタマがリラックマできる。この文章を読むだけでシアワセな気分になる!(・∀・)
「地面に生えている筍を火焙りにして食べる“筍の地獄焼き”でサディズムを発揮。カツカレー牛丼でカロリーへの飽くなき挑戦姿勢をみせ、ホットケーキをシロップでビショぬれにしたいと身悶える。今回はケニアに足をのばして野性の味も体験。ハイエナ君のお食事風景にちょっぴりせつなくなったショージ君」そのエッセンスを紹介しよう。
・ぼくはラッキョウに対して言いたいことがある。ラッキョウの「ウ」の字を取って欲しい。いま、殆どの人がラッキョウとは言わずラッキョと言っている。ラッキョのほうがいかにもラッキョらしく、ラッキョウというと間が抜ける。文部省の国語審査会かなんかえ、ラッキョウ特別審議委員会を開いて、ぜひ一度検討して欲しい。
・メロンパンは図体がでかい。必要以上、意味なく大きい。体格はいいし、外観も立派だし、なんか中身がありそうな気がして、ひと晩、一杯飲ませて話をしてみると、中身はなんにもない。ほんとになんにもない。ほかの連中、アンパン、カレーパン、ホットドッグ、チョコパンは、みんな一応中身がある。メロンパンだけなんにもない。メロンパンの歴史の中で(この中に何かを入れよう)とか(この中に何かをはさもう)とか、ふと考えた人はいなかったのだろうか。
・カップ焼きそばはインチキくさい食べものだ。「焼く」と称していながら「煮て」いる。フタをして三分たったら流しのところへ持って行って、カドの「湯出口」から湯を捨てると、そうですね。3秒ほどたったことろ、ステンレスの流しが突然、「ベコッ」と言う。必ず「ベコッ」と言う。深夜の、誰もいない、うす暗い台所の、この突然の「ベコッ」は、毎度のことながらドキッとする。と同時に、秋の夜の寂寥感が急に深まる。この「ベコッ」を、ぜひ俳句の季語に入れたい。秋深し 隣は「ベコッ」とする人ぞ なんてのはどうだろうか。
その他、「「カツ牛カレー丼」はあるか?」「静かすぎるビアガーデン」「巨大エビ天丼」「懐かしの缶詰たち」「お汁粉の悦楽」「松たけの土びん蒸し疑惑」「海苔の醤油は内か外か」など。
ホント、「ベコッ」っていうよね。オススメです。(・∀・)