「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「添野義二 極真鎮魂歌 大山倍達外伝」(小島一志)

   


添野義二 極真鎮魂歌: 大山倍達外伝


この本は、スゴい……スゴすぎる……圧巻のおもしろさだ……今年のベスト3入りは間違いないだろう……ゴッドハンド大山倍達の真実の姿といえば、何冊も紹介したよね。


大山倍達正伝」(小島一志 塚本佳子)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20080613


大山倍達の遺言」(小島一志 塚本佳子)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20140907


芦原英幸正伝」(小島一志 小島大志)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20140802


芦原英幸伝 我が父、その魂」(芦原英典 小島一志
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20180428


その中でもこの本は別格。「“極真の猛虎”が死ぬまでにどうしても書き残しておきたかったこと――。師・大山倍達の素顔から、第一回全日本選手権梶原一騎極真空手の真の関係、そして熊殺しウィリー・ウイリアムスの世界大会暴走反則やアントニオ猪木との格闘技戦まで大山倍達の「鉄砲玉」として極真空手のさまざまな事件で体を張り続けた歴史の生き証人が、すべてを明かした! 驚愕の回顧録完成、ついに封印は解かれた!」そのエッセンスを紹介しよう。


添野へのインタビューは250時間を超えた。取材した人間も130人。確認資料400。添野の言葉には全て「裏」となる資料や取材記録が存在する


・「底の浅い人間は、一見、大山館長への批判ばかりが続いていると思うだろう。しかし、私の言葉の根底には大山館長に対する深い愛情や尊厳がある。ここで明かした言葉は大山倍達という『仏』の手の平を超えるものではない。私たちは大山館長の手の平の上で生きてきたのかもしれない」私も添野に同感だ。あんなに悪人なのに、欠点を探したら次々と出てくるのに、大山倍達を嫌いになれない。憎めない。優しい父親なのだ。そんな大山が拓いた極真会館の「時代」を添野の言葉とともに振り返ってみよう。


現実世界における大山館長の本質は徹底的な利己主義者であり、他人を利用することも弟子を使い捨てにすることも厭わない冷血漢だった。これが私の本音である。大山館長には武道家、武士の風格は全くなかった。きわめてへそ曲がり、カメレオンのような男であった。


たとえ大山館長が仁義も情もないただの冷血漢と分かっていても、あの大きな体のぬくもりが私から苛立ちや憎しみを奪っていった。お金には汚い人間であったけれども、「金がない、金がない」と言いながらも、私たち弟子を行きつけの焼肉店三宝苑」に連れていってくれることもあった。私はなんのかんのと文句を言いながら、大山倍達の弟子であること自覚すると同時に、誇りに思うこともあった。


・劇画などでは聖人君子として描かれる大山館長だが、実際は人間味が豊かすぎるぐらい豊かな人物だった。感情の起伏が激しく、人やものに対する好き嫌いも常人の理解を超えていた


中村忠師範「くれぐれも館長に利用されないよう気をつけろ」。確かに大山館長の言動には朝令暮改といってもいいほど、一貫性がなく、そのと時々の感情で言うことがコロコロ変わるやっかいなところがあった。そんな大山館長の性格を芦原先輩は冷静に見ていた。


結論を先にいえば、『空手バカ一代』こそが、現在も続く極真空手の権威の原点だと私は確信している。『空手バカ一代』の存在がなかったならば、極真会館の発展や大山倍達という空手家の神格化もあり得ず、極真会館(分裂後の諸派を含む)自体が存在していなかったかもしれない。梶原先生が極真会館という一道場に過ぎなかった弱小流派を空手界最大の勢力に成長させた功労者という評価だけは、決して忘れてはならないと思う。


芦原英幸大山館長がいる限り、たしかに極真は駄目ですよ。あの人は人生そのものをウソで固め、ウソの極真を作ろうとしていますけん。この人間は極真を作ったけれども、極真を滅ぼすのもこの人間に間違いないと……。芦原は何度も館長を暗殺しようかと考えたもんです。本当に考えました。大山館長の狡(ずる)さにもつくづく腹が立って気持ちが収まらんのよ。先にやらんと逆に館長に命を狙われるかもしれん。やられる前に殺さんとこっちが危険じゃけん。暗殺よ、ワシがやれば絶対犯人は分からんよ」


・黒崎師範「日本人と朝鮮人は根本的に価値観が違うと思っている。俺の経験から言うんだがな。だからの大山さんは朝鮮人だし取り巻きは民団だったり統一教会だったり、みんな朝鮮人だからいつかはケンカ別れするのが宿命だったのよ」


・大山館長と梶原先生の関係は「事実上」終わっていた。二人はビジネスだけで繋がっていたのだ。何か問題が生じたとき、大山館長は決して表には出ない。絶対に自ら矢面に立とうとはしない人だった。「大山さんが次々に約束を反古にし裏切りを続けるならば、俺もとこことん極真を利用してやろうと思ったよ」梶原先生がこう言って憚らなくなったのも当然だと私は思っている。


「全ては長である私の不徳の致すところである」私自身も過去、何度この言葉に騙されたか分からない。決まり文句が出たときには裏に何かある……そう疑わなくてはならない。私は経験で学んだ。


・梶原先生「誰かが俺を『極真の寄生虫』とほざいたようだが、いまの俺は寄生虫みたいに大山先生にくっつかなくても何にも困りはしねえよ。寄生しているのは、どっちか?考えりゃバカでも分かるはずじゃねえか」


・私はこの時代の大山倍達を見続けることで、人間の「欲」は際限がないということを痛感させられた。「欲」は喜びを不満に変え、不満は恨みに変わる……。これが人間本来の「性」だとしたら、あまりにも哀しい。


・帰りの車のなか、私はひとり泣いた。叫ぶように、声が嗄(か)れるまで私は大声で泣き叫んだ。私は思った。「俺の信じる極真空手は終わった。俺が師と仰いだ大山倍達は最低最悪の詐欺師なのだ」私の心はすでに極真から離れていた。大山館長を見る私の心は、完全に冷めていた。館長が私を、我々弟子を「駒」として扱うならば、私は喜んで「駒」になろう。しかし「駒」には「駒」の魂がある、怒りがある。「もう、どうにでもなれ!」


・結局、私も芦原先輩も大山倍達という「大仏」の「手の平」で飛び回る「孫悟空」のようなものなのかもしれない。どんなに不満を言おうが、いかに批判しようが、悪態をつこうが、唾を吐こうが、全て自分に跳ね返ってくるのだ。逃れようともがいても、大山館長の「手の平」から解放されることはない。私にとって大山館長は永遠の「師」であり「親」であり「仏」なのだ。


・事情を知らない大山倍達ファンはこの作品を読んで何度も怒り、私を憎んだに違いない。私はそんな怒りや罵倒を喜んで受け止めたい。何故ならそれらの感情は、大山館長に対する愛情や憧れの表れだからだ。私は毎日毎日、ぶつぶつとひねくれながら大山館長に甘えている。出来損ないの「ヤンチャ坊主」なのだ。


特に、少林寺拳法襲撃事件」「幻のクーデター計画」「政治家への野望」「大木金太郎事件」は、知らなかったなあ……クーデターが成功していたら……極真はどうなっていたのだろう。天才の光と影、どこの世界にもこのようなことはあるだろうなあ……ワタシも経験したが(笑)超オススメです。(・∀・)


   


添野義二 極真鎮魂歌: 大山倍達外伝