日本を代表する数学者であり、作家新田次郎、藤原てい夫妻の次男である藤原正彦氏。名エッセイストでもあるよね。(・∀・)さてこの本。今から46年前(昭和47年)のアメリカ留学の体験記。あの頃のアメリカってこんな感じだったんだなあ…。当時大変だったんだなあ…。
「1972年の夏、ミシガン大学に研究員として招かれる。セミナーの発表は成功を収めるが、冬をむかえた厚い雲の下で孤独感に苛まれる。翌年春、フロリダの浜辺で金髪の娘と親しくなりアメリカにとけこむ頃、難関を乗り越えてコロラド大学助教授に推薦される。知識は乏しいが大らかな学生たちに週6時間の講義をする。自分のすべてをアメリカにぶつけた青年数学者の躍動する体験記」日本エッセイスト・クラブ賞受賞作。そのエッセンスを紹介しよう。
・アメリカ人とは一体どんな人種なのだろうか。自分の英語は通ずるだろうか。買物などの簡単な日常会話は別にしても、果たして心を通わすことが出来るであろうか。何はともあれ、数学で奮闘するしかほかはない。アメリカで生きる道は他にない。心細さは徐々に弱まり、次第に悲壮感のようなものが胸の内に広がって行った。
・昇りきった朝陽に海は豊かに青く、波頭が随所に白くきらめいていた。その白いきらめきが、私に荒々しい鼓動を伝えてくれた。と、突然私は、先ほどまで自分を支配していた不安感が一掃され、きわめて不思議な感情に襲われているのに気づいた。いつしか、眼下の海で死闘を繰り広げた日本海軍の将兵に思いを馳せていた、この美しい輝きの海で、自分と同じ若者がアメリカを相手に闘い、散っていった。同じ太平洋を、私が今、超えて行く。そんな思いに捉えられていた。そして、その瞬間、アメリカに行って静かに学問をしてくるというそれまでの穏健な考えに代わって、なぐり込みをかける、とでも言うような荒っぽい考えが心の底に擡頭(たいとう)して来るのを感じた。ミシガンの数学者に日本人の凄さを見せてやろう、などと気張ったりもした。このような感情の変化は日本を出発する前には予想もしなかったものだった。
・しばらくたったある日、私は「アメリカには涙がない」ということに思い至った。モウハーヴィ砂漠にも、湖の青い水面にも、壮大なグランドキャニオンにも、どこにも涙がなかった。土壌に涙がにじんでいなかった。それに反して日本には……思わず、これだと飛び上がった。これですべてを説明できる、と小躍りした。私は日本で美しいものを見てもそれが単に絵のように美しかったから感動していたわけではなかったらしかった。その美しさには常に数えきれない人々の涙が実際にあるいは詩歌などを通して心情的に滲んでいた。
・人々の涙、農夫の涙、漁師の涙、村人の涙、貴族の涙、歌人の涙、恋の涙、歓喜の涙、慈悲の涙、感謝の涙、裏切られた者の涙、失敗の涙、成功の涙、貧苦の涙、子を失った母の涙……。私は、これらすべての涙をその風景の中に、足下の土壌に、辺りを包む光と空気の中に、瞬間的に感知し、感動していたに違いなかった。
ああ〜〜「どくとるマンボウ青春期」を思い出すなあ…。打ち込めるものがあるっていいなあ。オススメです。(・∀・)