たびたび紹介している仏教の本。何が書いてあるかわかりにくいのよね(笑)。この本は、わかりやすい浄土三部経の現代語版。題して「阿弥陀仏と極楽浄土の物語」。なんという壮大な詳細な美しい描写。お釈迦様が実際に観てきたとしか思えない!そのエッセンスを紹介しよう。
・浄土三部経とは、阿弥陀仏と極楽浄土のことが説かれている浄土経典の中で無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の三つをいう。経典は言葉のくりかえしがいちじるしい。この反復には、実は経典というものの本質がひそんでいる。そもそも経典は黙って目で読むものではない。まずは読誦するもので、耳から心にとどくものである。仏の名がリズミカルに響いて、まさに法会の荘厳をもたらす。そして祭文としての性格を強くもっている。その性格を表すのが、独特な反復表現の多さなのである。祭文は日本でもよく発達していて、典型的には神楽の祝詞などに見られる。神々の物語を演じる神楽では、くりかし同じような場面が演じられ、言葉は延々とくりかえされる。
・極楽の人々は宮殿に暮らし、衣服も飲料・食物も、住まいを飾る美しい花々や香なども、荘厳の具は最上の天界である第六天に自然にあるもののようです。食事をしようと思えば七宝の食器が自然に現れます。金・銀・瑠璃・瑪瑙・珊瑚・琥珀・月光真珠などの鉢が思いのままに現れて、それには百種の飲料・食物が自然に盛られています。とはいえ、このように食物はあっても、実際に食べるものはいません。ただ色を見、香をかぐだけで、心は食べおえたと思うのです。自然に食の満足があって心身は健やかであり、食味に執することはありません。食事が終われば食器は消え、その時になれば、また現れます。
・その仏の国土は清浄であり、安穏であり、快楽は深く玄妙であった、無為涅槃(煩悩が完全に消え去った悟り)の静かな境界の近くにあります。その国土の声聞・菩薩・人は、智慧高明にして神通の力を得ています。それら極楽浄土の神々や人々は等しく同じ姿なのですが、それぞれの前世のあり方に従って、天の神々の名で呼ばれたり、人の名で呼ばれたりするのです。みな顔を端正さ、どんな世にもないほどです。姿・形は玄妙であり、天の神々でもなく人でもありません。みな自然虚無の身、無極の体、すなわち涅槃の身体を得ているのです。
これらの本と併せて読むといいね。超オススメです。(・∀・)!
「新訳 大無量寿経 阿弥陀経」(藤村義彰)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20170331
「観無量寿経」(佐藤春夫)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20160905
「無量寿経」(阿満利麿 注解)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20160728
「極楽の観光案内」(西村公朝)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20150623