「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「柳生すみまろのディズニーランド誕生秘話」


柳生すみまろのDisneyLandディズニーランド誕生秘話


東京ディズニーランドはもう20年近く行っていないかも!?(╹◡╹)ディズニーに教育や感動するエピソード本は数々あれど、この本は、本家本元のディズニーランド誕生秘話なのだ!


「ディズニーランドがほかの遊園地と違うワケは?あの人気アトラクションは、どのようにして生まれたのか?パークをつくる人たちとは?」そのエッセンスを紹介しましょう。


・1940年代初頭、ウォルトは最高水準の映像芸術をつくりだしながら、もうひとつ「別の世界」があると感じていました。いかに全力投球してもアニメーションはフィルムの世界、スクリーンに映し出される平面がすべてです。ミッキーが手を振りながら近づいてきて「やあ、元気?」なんて声をかけてくれたらおもしろいだろうな、などと考えていました。


・ウォルトは日曜日になると、2人の娘、ダイアンとシャロンを連れて遊園地へ出かけるのが常でした。(まったく、うちの娘たちときたらメリーゴーラウンドが好きだな。それにしてもこの遊園地、もう少しましにならないものかな。もっときれいに、もっと安全に……。そうしたら、親も子も安心して楽しめるのに。もし、僕が遊園地をつくるとしたら……


家族揃って楽しめる場所ーウォルトの「ファミリーパーク構想」は、それまで前例がなかっただけに至難の技でした。案をまとめ、資金集めに奔走し、あらゆることを決定しなくてはなりません。「ああ、なんで一日は24時間しかないんだろう。48時間、96時間あっても足りない」なんて愚痴が出るほど、ウォルトは働きまくりました。そして「世界中どこを探しても、ディズニーランドのようなパークは絶対に見当たりません。ユニークだからこそすばらしく、これは新しいエンターテイメントなのです」と力説してまわりました。


資金集めとスポンサー探し、これがウォルトの頭痛の種でした。「ディズニーランドの可能性を投資家相手にいくら話しても、私には説得できなかった。なぜかって?だって私が提供する投資への担保は「夢」で、彼らにとっては捉えようのないものだ」とウォルトは語っています。


・当時のアメリカでは家庭にテレビが普及し、3大ネットワークのひとつであるテレビ局のABCが、ディズニーがレギュラー番組の制作をすることとひきかえに、パークの建設資金の支援を申し出ました。これはウォルトにとって、一石二鳥の解決策となりました。パークのための資金集めと、宣伝が可能になったのですから。


その他、「映画屋さんのパーク作り」「動く人形大活躍〜オーディオ・アニマトロニクスとニューヨーク博」「ウォルトと汽車ポッポ」「夢が現実になる場所」「海賊と幽霊が住む街」「緑と花のパラダイス」「お楽しみがいっぱい〜ナイトタイムエンターテイメント」など。


無から有を作り上げることの大変さが伝わってくるね。ディズニーファンなら必読っ!オススメです。(╹◡╹)



柳生すみまろのDisneyLandディズニーランド誕生秘話