「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「メディアの興亡(上)」(杉山隆男)


メディアの興亡〈上〉 (文春文庫)


いや〜感動したっ!上下巻なので、まだ上巻しか読んでいないけど、今年のベスト3入りが確実な本に出会いましたっ!

今は当たり前になっている「コンピュータで新聞を作る」ということがナント!昭和40年当時から進められていたのだ!そしてそれは想像を絶することだったのだ。のちになってIBMの幹部の一人は、このプロジェクトが人類を月に送ることと同じくらい難しいものであった、と述懐している。


新聞社から活字が消えていく―。コンピュータで新聞をつくるという壮大な計画にむけて、日本経済新聞社は動きだしたアポロ宇宙計画に匹敵する難事業に社を挙げて取り組んだ日経を中心に、大新聞の変革期に新聞人が何を考え、どう行動したかを活写する、第17回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した傑作」そのエッセンスを紹介しよう。


テレビはおろかラジオもない時代の新聞。その印刷は活字を拾い、機械がやる。戦争の状況を逸早く伝えるスクープ合戦は、同時に、より印刷速度の速いすぐれた機械をそなえようとする新聞社同士の設備競争を引き起こした。


それまで新聞社の工場というところは、学校で技術教育をまともに受けた人間が勤める職場ではなかった。活字を拾ったり輪転機をまわしている工員は「職工」と呼ばれ、尋常小学校を終えるか終えないうちに工場に入りみっちり仕事を仕込まれた叩き上げか、他の職場を転々としてきた渡り職人がほとんどであった。労働基準法もない時代。朝早くから深夜まで働きづめという状態だった。


新技術が舞台の主役となった瞬間、あれほど光り輝いていた今までの技術は朽ち果て、産みの親に顧みられることもなく静かに舞台から退場しなければならない。それはあらゆる技術に課せられた宿命なのである。


いつの日か、日経は新聞も出していたのか、と言われるようになりたいですな。コンピュータで新聞をつくることが最終目的ではない。「新聞をつくる」だけの新聞社を「新聞もつくっている」新聞社につくり替えてしまうこと、それが圓城寺の「コンピュータ活用論」の言わば精髄だった。


中でも「新聞界の技術革新のうねり〜ファクシミリの登場とファクシミリ印刷」「全国紙と地方紙との壮絶な闘い」「戦後最大の倒産 三洋特殊鋼の時代背景と新聞業界の設備拡張競争」「毎日新聞と日通の一億円スキャンダル」は、見逃せない。


新聞というものの歴史を知ることは日本の産業史を知ることになるねえ。下巻が楽しみ!超オススメです。(・∀・)!



メディアの興亡〈上〉 (文春文庫)