「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」(坂口恭平)



久しぶりに読みました、坂口恭平の本。ワクワクするよね。やってみたくなるよね。(╹◡╹)


東日本大震災、そして熊本地震で被災した著者が世界に投げかける、新時代の生き方。「きみは何も持たず、着の身着のまままで街に降り立った。家は?仕事は?生活は?いったいどうする?しかし、何ももたない人間でも生きていく方法がある。太古の人間が海の幸、山の幸を享受して暮らしたように、ぼくらの周りにも、「都市の幸」溢れているとからだ。きみの都市型狩猟採集採集民として生きる方法を伝授しよう」そのエッセンスを紹介しよう。


路上生活者は都市の中で唯一、自力で「家」や「仕事」を、つまりは「生活」を発明しながら生きている。実際、都市が吐き出す「ゴミ」を自然素材とみなし、それらを拾い集めて自力で家を建てている。


はたして人間は土地を所有なんかしていいのだろうか?いったい誰がそんなことを許可したのか。


現代の日本では「お金や仕事がないと生きていけない」ということになっている。着る服も、住まいも、食事も、食後に観るテレビで、入浴も、職場までの移動も、すべてにお金がかかる。それが当たり前となっている。しかし、本当にそれは自然なことなのだろうか。


きみがもっとも手軽に採集できる「都市の幸」とはずばり、「ゴミ」である。代々木公園でも、定期的に服が手に入る。まるで次から次へと自生してくる木の実のようだ。都市では半永久的にタダで衣服が手に入る。これを「都市の幸」と呼ばずして何と呼ぼう


台東区だけは毎日炊き出しがある。だから食べ物に関しては永遠に困ることがない。しかし僕が話をきかせてもらった人は全員、最終的には炊き出しに並ぶことをやめている。「炊き出しに頼ると、自分で努力しようといく気持ちがなくなってしまう。そこが落とし穴なんだ。自分で何とかしようと思ったほうが、しっかり稼げるし、おいしい飯にありつけるんだよ。不思議なものだけどね。


現代の都市で、人が野垂れ死することは、事実上ありえない。仕事がなくても、住むところがなくても、お金がなくても、恋人がいなくても(?)生きる気力そのものがなくなったとしても、それだけで死ぬことはない。つまり、ぜいたくをせず、少量の食事だけで満足できるようになれば、この日本では働かずとも十分に生きていくことができるのである。


・僕が繰り返し言う都市型狩猟採集生活というのは、ただの路上生活のことではない。最終的な目標は、自分の頭で考え、独自の生活、仕事をつくり出すことにある


実にたくましい。最悪のリスクマネジメントのシミュレーションができるねー。オススメです。( ◠‿◠ )