「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「花がないのに花見かな」(東海林さだお)

そろそろお花見のピーク、もしくはピークを過ぎたかな!?(・∀・) この本のタイトルのように、お花見は早すぎても遅すぎても困るよね。ときには、花が咲いていないのにお花見をしなければならないということがあるよねえ。(笑)


タイトルのエッセイもオモシロイんだけど、最もおかしかった章を紹介しよう。


「身辺観察的日常 ボールペンの芯」


ボールペンの先端のところに悲劇があることを発見したのだ。
彼らの不幸を見て見ぬふりをしていたというわけではなく、その事実に気がつかなかった
のである。そのボールペンは四色のボールペンだった。
黒、赤、青、緑のインクの入った芯が、一本のペン軸に収納され、芯の太さは約2ミリ、ボールの先端は約1ミリ、それが飛び出てくる軸の穴は1ミリ強、軸に向かって2センチの間は半透明になっていて内部がうっすらと垣間見える(ゼブラ製)。
その薄暗い半透明の筒の中に、四本の芯が待機していたのだ。
そう、彼らはずっと待機していたのだ。彼らはそういう境涯だったのだ。



彼らが居住する空間は息苦しいほど狭く、薄暗く、お互い身動きならず、肩と肩を接しながら、しかも立ったままで待機していたのだ。考えてもみてほしい。
この一本のボールペンの中の四本の芯は、故あって集まったわけではない。
緣もゆかりもない四本が、まったくの偶然によってまとめられて一本のボールペンの筒に詰め込まれたのでる。
ときには向きも変えたかろう。ときには気まずいこともあるだろう。
待つという運命。常に待機しているという運命
そうだ、チリだ。チリの鉱山事故、こっちの人たちもひたすら待っていた
状況はまさに四色ボールペンと酷似しているといわねばなるまい。


いつとも知れぬ出場のチャンスを、細くて狭い筒の中でじっと待っているのだ。
そう考えると、ボールペンの軸は野球でいえばベンチということになる。
筒の中に比べれば、野球のベンチは広々としていて、空気もいいし、何より身動きが自由で開放的である。


ボールペンを使い始めてだんだんインクがかすれていってある日、どうとう使いきった。そのうち一本が失くなった。それまで持っていた三、四本は自分の身内、いってみればファミリーのようなものだ。いっしょに暮らしてきた、ということもできる。
そのうちの一本が失くなるということは、いってみれば行方不明になるということだ。
行方不明になっても特に騒いだりしないのがふつうだ。


その他、「花がないのに花見かな〜夜桜の隅田川花見船と千鳥ヶ淵の桜」「ホルモン道入門」「ニッポン自炊旅行」「三ツ星登山高尾山」「「お早う」でいいのか」「女探偵の極意」「人間の行動を考える」「したくないことはしたくない」「銭湯をハシゴする」「樹海で死ねたら」「歌うはとバス」「フタを褒める」「草食男子許すまじ」


など。抱腹絶倒のオモシロさ。やっぱり東海林さだおは天才である。旅のおともに。オススメです。(・∀・)!