子どもの頃、衝撃的だった三島由紀夫の割腹自殺事件。フォークシンガーの遠藤賢司の歌にも歌われているよね。(・o・)
さて、前東京都知事の猪瀬直樹氏が書いた、三島由紀夫伝がこの本。実は三島のルーツは、祖父・平岡定太郎にまで遡るのだ。『仮面の告白』に描かれた詝祖父の疑獄事件詝とは何か。官僚一家の家系と、数々の傑作との間には秘められた深い関わりがあった。そのエッセンスを紹介しよう、。
・平岡公威の父親、平岡梓は旧制一高出身、農林省水産局長。祖父の定太郎も東京帝大を出て内務省に入っている。官僚の家系というもの、官僚の人生というもの、長岡にとっても平岡にとっても、それらは所与のものである。日本を近代国家に仕上げたのは官僚たちのはずだった。だが、平岡は大蔵省銀行局をわずか九ヶ月で退官した。さらにその二ヶ月後、意を決して長篇小説を書きはじめる。題名は「仮面の告白」。
・果たして官僚は、革命の秘密結社なのか、惰性の利益共同体なのか。官僚の歴史と現在は、その両極を行きつ戻りつしているとは言えないか。若い三島由紀夫の描く官僚は、後者である。ひたすら卑小な自負のみを抱えた、トマス・ペインのような怪しげな魅力からほど遠い「官」である。僕は三島由紀夫のこうした屈折の深さと、“大蔵のドン”と呼ばれる長岡實の快活を比べてしまう。長岡は、平岡と元首相・福田赳夫の同期だ。両者の差は、どこに起因するのだろう。その謎を解き明かすため、僕は、大正時代に起きた近代日本政治史上の大事件にまで迫ろうとしているー。
・三島がしたためた詩や散文を、帰宅した暴君、すなわち梓がビリビリと破り捨てると、倭文重(ふみえ)はそっと原稿用紙を用意したのだ。三島は、中学時代から自分が書いたものをつねに母親に見せ、母親に意見を訊いた。その習慣は死ぬまでずっとつづいた。
・「文芸文化」同人の編集会議が伊豆・修善寺の旅館で開かれたときの思いつきである。修善寺へは、いったん東海道線の三島行きに乗らねばならない。それで「三島」と「ゆき」が出た。三島からは富士山が見える。夏だったが連想で「雪」にも引っかけられrたた。「三島ゆきお」までは、それで決まった。帰郷した清水文雄は三島にそれを示すが「平岡公威ではいけませんか」と反問される。本名で外部の雑誌に登場したにほうがよい、と教師の立場で説得した。16歳の少年はしばらく黙って考え込んだ。それから「ゆきお」でなく「由紀雄でどうですか」と言った。「雄は少し重い、夫ではどうか」と清水が紙片に書いて提案すると納得した。
・三島は天才と思われているが、体育や軍事教練にしろ、ボディビルにしろ、じつは小説もそうなのだが、強靭な意志、努力を見落としてはいけない。
・『金閣寺』がなぜ傑作なのかといえば、ここには三島の過去も現在も。そして未来も、すべてそれこそ『過剰』に凝縮され詰まっているからだ。未来……。そう未来とは、天皇という絶対性、超越性へのこだわり、あの華々しくも無残な自決へと至る道程である。
特に、前半の「原敬暗殺の謎」「幽閉された少年」には、ぐいぐい惹きこまれていってしまった。そうかあ…そうだったのかあ…改めて三島由紀夫を読みたくなりました。オススメです。(・∀・)