「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃」(中川右介)

f:id:lp6ac4:20220224041500j:plain

昭和45年は、ワタシは6歳、小学校に上がる前年だ。そして11月といったら新潟から小田原に引っ越した年だ。そのせいなのか、三島由紀夫の自決のニュースはオンタイムで観ていない。その後、遠藤賢司「カレーライス」といい名曲でそのことを知ることとなる。
 
さてこの本。「昭和45年11月25日、三島由紀夫自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹、介錯される―。一人の作家がクーデターに失敗し自決したにすぎないあの日、何故あれほど日本全体が動揺し、以後多くの人が事件を饒舌に語り記したか。そして今なお真相と意味が静かに問われている。文壇、演劇・映画界、政界、マスコミの百数十人の事件当日の記録を丹念に拾い、時系列で再構築し、日本人の無意識なる変化をあぶり出した新しいノンフィクション」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
1970年=昭和45年は、昭和のオールスターが揃っていた年だ昭和天皇はまだまだ元気だったし、内閣総理大臣は最長在任記録を持つ佐藤栄作自民党幹事長は田中角栄防衛庁長官中曽根康弘警察庁長官後藤田正晴だった。最強の布陣ではないか。文学界も芸能界も、老荘青それぞれの世代にスターがいた。さらにその下にやがて芽を出す無名の青少年たちもいた。そのなかで、最前線にして最高位にある人が、突然、死んだ。
 
三島由紀夫は、単なる人気作家ではなく、あの時代のスーパースターだった。平凡パンチ」が、1967年に「現代の日本のミスター・ダンディ」は、誰かを読者投票で選んだ結果、総投票数11万1192のなかで、三島は1万9590票で堂々の一位だったのだ。二位以下は、三船敏郎伊丹十三石原慎太郎加山雄三石原裕次郎西郷輝彦長嶋茂雄市川染五郎(現・松本幸四郎)、北大路欣也である。つまり当時の青年にとって、三島は映画スターやスポーツ選手よりも人気があったのだ。そういう人が「自殺」しただけで大事件だが、その死に方が、自衛隊に乗り込み、割腹し、さらに介錯された首が胴体から離れたわけだから、その衝撃度の大きさは途轍もないものだった。
 
・三島はクーデターの成功はまったく考えていなかった。失敗を前提として、この日の行動計画を立てた。逆に言えば、最初に自殺することが決まっており、自衛隊員に向って演説すること、さらに演説するために総監を人質にとることなどは、その後で考えれていったのだ。
 
自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室のバルコニーに立つ三島の姿を目撃したという、当時16歳だった女性がいる。その日、彼女は偶然、市ヶ谷にいたのだ。ロックグループはっぴいえんどが所属していた事務所、「風都市」に、その日、彼女は遊びに来ていた。そこは事務所ではあったが、半分ははっぴいえんどのメンバーである松本隆の書斎となっており、松本の部屋と麻雀ルームがあるみたいな感じだったと、かのjは語る。少女は、後に夫となるミュージシャンが風都市に「雀の涙ほどの月給」をもらいに行くのについて行ったらしい。「あのときのことすごく鮮烈に覚えている。あのとき、60年代のムーヴメントが終わった。「これで時代が変わるなあ」って思ったことを覚えている。あれと、あさま山荘事件(72年)でね。「時代は変わる。じゃあ、作詞家になろうかな」って。」この16歳の少女は、前年に15歳で作曲家としてもデビューする。そして、この少女がシンガーソングライターとしてデビューするのは1972年だ。荒井由実という。
 
・この日は、日本新聞史上、最も夕刊が売れた日」と言われる。数日後には週刊誌が緊急特集を組み、これも売れに売れた。人々は自腹を切って、切腹した三島の情報を求めたのである。
 
三島由紀夫は、一般的には小説家として知られていたが、作品的には、むしろ戯曲のほうが高い評価を得ていた。「三島の小説はつまらないが、戯曲にはいいものがたくさんある」と言う評論家も多い。三島の戯曲は、当然、上演を目的として書かれたものであり、彼自身が上演にも深くかかわっていた。三島事件の持つ演劇性を二十歳の玉三郎は、何気なく、本質的に見抜いている。演劇であるならば、観客が存在しなければならない。役者と観客ーそのどちらかが欠けても、演劇は存在しない。三島には、自分の一世一代(「この世で最後」という意味)の大芝居を成立させる観客がいるとの確信があったはずだ。そして、確かに、観客は存在したのだ。「11月25日」という芝居は、ほぼ全国民を観客にさせた。まさに、一世一代の大芝居だった。そして、三島由紀夫は実にいい観客に恵まれた。こんなにも多くの人の心を動かす芝居は、空前にして絶後だった。
 
三島由紀夫は、彼が絶賛してやまなかった中村歌右衛門は、三島を「不世出の名優」と讃える。

 

いや〜スゴいわ。時代を感じるわ。約120名が登場する新しいドキュメントの手法だね。オススメです。(・∀・)

 

f:id:lp6ac4:20220224041500j:plain