酒場のギター弾き 小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「やすし・きよしと過ごした日 マネージャーが見た波乱万丈回想記」(木村政雄)

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子どもの頃から大好きだった番組にひとつに横山やすし・西川きよしが司会のプロポーズ大作戦があった。この時代、漫才といえば「やす・きよ」だった。頂点だった。やがてバブル期になりTHE MANZAIがはじまり新しい「お笑い」がはじまる……。

 

さてこの本。あの時代が蘇るなあ〜!!!大好きだったやす・きよ時代の回想記。そのエッセンスを紹介しよう。

 

「「横山やすし三島由紀夫である」。生き急ぐことで自分のアイデンティティを証明した横山やすし。かたや西川きよしにとって、参議院議員という生き方を選んだことは、必然だったかもしれない。事件、選挙、コンビ復活、そしてやすしの死―日本一漫才コンビの元マネージャーが描く「疾風怒涛」のお笑い黄金時代」そのエッセンスを紹介しよう。
 
横山やすし三島由紀夫です。こう書くと、なんだと思われる方もいるでしょう。あまりに唐突な比較に怒る方もおられるかもしれません。片や文豪、片や漫才師なのですから、。それでもとにかく、自分の中では横山やすし三島由紀夫は同じ距離にあり、同じ様に価値があったのです。三島由紀夫が日本を代表する作家だとしたら、横山やすしは日本を代表する漫才師だという単純な比較ではありません。あくまえ自分の中での二人の生き方がそう思わせるのです。
 
横山やすしにも三島由紀夫と同様な生き様があります。自死という手段こそとりませんでしたが、実際はゆるやかな自殺のようなものです。周囲が健康への気遣い、断酒への努力をしていましたが、すべては本人の手によって無駄となりました。漫才という手段を失った横山やすしにとっては、木村雄二という実名で生きることよりも、横山やすしというイメージの世界で生きていたかったのです。51歳という年齢も夭折に入ると言えます。さらにいえば、彼自身の生き様はスクリーン上の高倉健のようでもありました。格好よく生きるということです。無様に人に頭を下げることをよしとしませんでした。こうした意味で、私の中では横山やすし三島由紀夫は同列に思えるのです。
 

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・やすしさんの金銭感覚は、きよしさんとは全く違います。お金があるから使うのではなく、あろうがなかろうが、欲しいものがあれば買ってしまいますから、後が大変です。収入はいい時には一億円を越していたと思いますが、使えるお金が増えるほど、買うのも大きくなり、借金も増えていったのです。結果的には、会社が立て替えて借金を返済しています。木村雄二という実像と横山やすしという虚像の切り替えができなくなってからは、借金はますます激しくなっていったのです。
 
・また人間関係のあり方にもやすしさん独特のものがありました。出会った途端に、人を「敵・味方」に分けてしまうのです。それでは仕事をする上で困りますから、そうした分け方で人に接するのはやめてほしいと話したことがありますが、最後までそれは止まりませんでした。謹慎などを通して、彼なりに移り気な「ファン」の本質というものを理解したのか「ファンは不安」だとよく言っていまいした。人を二元論で分けることはある意味での彼の自己防衛の手段だったのかもしれません。それは、やすしさんの「気の弱さ」によるものではないかと思います。素顔は甘えん坊で、寂しがり屋ですから、どうしても外では虚勢をさらに張らざるをえないのでしょう。さらに芸人はかくあるべしという横山やすしなりの解釈があります。そうした破天荒さも芸人なら許される、許すべきだという横山やすし流の「芸人の定義」があったのも事実です。
 
「「やす・きよ」以前」「吉本に入社」「「やす・きよ」の誕生した日」「初めてのトラブル」「マネージャー降板」「東京進出」「「マンザイ」ブーム」「「TVスクランブル」という番組〜崩壊への予兆」「きよし参院選へ出馬」「やすし解雇、そして会長の死」「さらば吉本」など。

 

この破天荒な生き方にあこがれている自分がいる……。できないけどね。昭和の後半を「やす・きよ」の時代から振り替えれる。オススメです。(・∀・)

 

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