私が小学生の衝撃的だったのが、三島由紀夫の割腹自殺。…切腹したんだよねえ…介錯人もいたんだよねえ…。(・・)
さて、この本。鎌倉時代にはじまり、戦国期の武士のならいとして定着してきた身の処し方、「切腹」。歴史に刻まれた武士道の振る舞いの、背景とその真情に迫る。そのエッセンスを紹介しよう。
・自殺の仕方には服毒、首つり、投身、入水などさまざまな方法があろうが、以後、現代に至るまで多くの日本人が腹を切る方法で死を選んできた。自ら腹を切ることで、死を全うするというのは、日本人にしかみられない行為である。では、なぜ腹を切るのだろうか。
・日本では武士やそれに準ずる人々の自殺は多くが切腹である。腹筋に力を入れながら、腹筋を切っていくのであるから、その痛みは尋常でなく、強い精神力が求められる。しかしあえてそれを行うところに大きな矜持があったのである。
・日本人が愛でる花はサクラである。満開のサクラも美しいが、日本人は潔く散るサクラに愛惜の念をもつ。この辺には潔く散る切腹を好む民族性が隠れているのかもしれない。
・切腹の理由
1 刑罰としての切腹。
武士が何らかの犯罪、あるいはそれに近い不名誉なことをした場合、その罪を償うために切腹をするのである。しかし、武士以外の庶民は、原則として切腹を認めなかった。それは、庶民は自ら罪を償うことのできない存在とされていたからである。庶民は斬首、磔(はりつけ)、場合によっては火あぶりなどによって処刑された。それに対し、武士は自分の始末を自分で付けられる存在として認められていたから切腹を許された。この場合の切腹は刑罰であるが、それは名誉とされた。武士であっても切腹が許されないことがあり、それはこの上ない不名誉とされた。
2 責任 3 潔白の証明 4 殉死(追い腹)
・武士が喧嘩をして、相手を斬り殺したとすれば、本来は自分も切腹した。相手だけを殺しておいて、自分が生き残るという思想はなかったのである。喧嘩は死の覚悟をもって行われた。
・切腹のもうひとつの大きな特徴は、介錯人の存在です。自殺は通常、ひとりで行うものだが、切腹は多くの場合、幇助(ほうじょ)者を必要とする。幇助者だけではない。多くの人が検分をすることになる。自殺ではあるが、儀式でもある。江戸時代の正式な切腹は、見届けるための多くの人々が集まり、威儀を正して着座して、切腹人が登場し、介錯人が登場し、静寂の中で、それぞれが礼を保ち、厳粛な雰囲気の中で行われる。多くの人が見守る中で、儀式として自殺が行われるのは、世界で例がない。
・統計があるわけではないが、日本では、万を超える人々が切腹しただろう。中には女性もいる。その死に様から日本人のあり方をながめてみたいと思う。
・本書でみたように、切腹は日本人特有の行為である。それは責任感、正義感を表すものでもある。しかし、現代の日本人は「命をかけて」などと軽々しく口にはするが、まともに責任をとるものは希である。とくに政治家の「政治生命をかけて」という物言いには、本当に切腹した人のことを思うとき、その無責任さに腹立たしさを覚える。「命をかける」というのは簡単なことではないし、口に出した以上、本当に命をかけなくてはならない。
松平信康、千利休、古田織部、豊臣秀次、浅野長矩、大石内蔵助、平田靭負、高山彦九郎、松平康英、渡辺崋山、新見錦、新選組、真木和泉、、武市半平太、川路聖謨、白虎隊、西郷隆盛、乃木希典、河野寿、中野正剛、三島由紀夫、森田必勝、影山正治など。
名誉ある死というのがあるんだなあ…じつに考えさせれるなあ…。おすすめです。(・∀・)