「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「プロ野球「もしも」読本 もし長嶋茂雄が南海に入団していたら」

野球に、「たら」と「れば」はない、と言われる。しかし、ドラフト取材歴30年、球界の表もウラも知り尽くした著者が、ファンの「夢」、かなえて、「たら、れば」に初めて挑んだ、プロ野球ファン待望の一冊。そのエッセンスを紹介しよう。


【もし長嶋茂雄が南海に入団していたら】


前年(57年)に本塁打王を獲得してブレイクした野村と「NN砲」を結成。リーグではライバルの追随を許さず、黄金時代を築き上げていただろう。長嶋にあこばれて南海やパ・リーグのチームを入団に選ぶアマチュアの有望選手も増加。巨人は球界の盟主として絶対的な存在にはならず、V9もなかったはずだ。結果として“親分”鶴岡一人の存在感は川上哲治をも大きく上回り、日本プロ野球界のドンとして君臨していた可能性が高い。


【もし張本勲が巨人に移籍していなかったら】


→1976(昭和51)年〜77年の長嶋巨人の2連覇はなく、2年連続で最下位に沈んでいた。


【もし田淵幸一が巨人に入団していたら】


王貞治が1000号ホームランを打ってた。


【もし慶應大・志村亮が指名拒否しなかったら】


→ある程度の活躍をして、いまではどこかの球団で若きGMのような立場になっていた。比較的息の長い投手になっていたのではないだろうか。もしかしたら、46歳で山本昌に次ぐベテラン投手として、まだどこかで投げていたかもしれない。


【もし中日が「鈴木一朗」を指名していたら】


メジャーに進んだイチローは存在しなかった。少なくとも1991(平成3)年当時の評価ではドラフト3位以降ということになっていただろう。中日は投手としての鈴木一朗を見ていたわけだから、地元である愛工大名電のエースを指名しておいて、いきなり打者ということは難しかったのではないだろうか。やがて東北福祉大から鈴木郁洋(ふみひろ)という捕手も入団してくるので、おそらく登録名は「鈴木一」ということになったであろう。ここから現在のイチローをイメージすることはとても難しい。


【もし王貞治阪神に入団していたら】


→少なくとも世界のホームラン王は誕生しなかったであろうし、一本足打法にはなっていなかったが、シュアな中距離ヒッターにはなっていた。


その他、「もし江夏豊が右投手だったら」「もし沢村栄治がメジャーに挑戦していたら」「もし江川卓がメジャーに挑戦していたら」「もし、いま「権堂、権堂、雨、権堂」がいたら」「もし世界の王貞治が右打者だったら」「もしプロ野球で金属バットが使えたら」「もし「黒い霧」で池永が追放されなかったら」「もしライブドアが参入していたら」「もし高橋ユニオンズが存続していたら」「もし野村克也が南海監督を続けていたら」「もし落合博満が「生涯ロッテ」だったら」など。


いや〜実にオモシロイ!想像力を鍛えるトレーニングにもなるねえ。野球ファン必読っ!オススメです!(・∀・)