「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「あなたはあなたが使っている言葉でできている」(ゲイリージョン・ビショップ)

この本。昨年読んだまま、エッセンスをまとまる間もないまま放置プレイだった。(笑)あらためて読み直すと、いいなあ!ぐさっと響くなあ!お正月に読んで良かったなあ!♪
 
「この本はあなたが答えを手に入れることを願うが、答えは外側ではなく、あなたの中にある。答えを見つける必要なんてない。あなたが答えなのだから。私のクライアントには、白馬の騎士の訪れをずっと待っている人がいるが、私はよくこう伝える。あなたが騎士なのだと。あなたの人生は、あなたの訪れを待っている」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・「自分としゃべったりなんてしない!」と言い張る人もいるかもしれないが、実は人間の 一番の話し相手は自分自身なのだ頭の中は、誰にとっても「心地よい」プライベートな 空間だからだ。内気な人も、社交的な人も、クリエイティブな人も、現実的な人も、誰もが多くの時間 を自分としゃべって過ごしている。自分としゃべりながら、運動し、働き、食べ、読書し、 ものを書き、歩き、メールし、泣き、話し合い、交渉し、計画を立て、祈り、瞑想し、 (1人で、またはパートナーと)セックスをする眠っているときも自分との会話は続いている。この本を読んでいる今この瞬間も続いている。
 
・研究によると、人間の頭には1日5万以上もの考えが浮かぶそうだ。私たちはいつも、自分に対して頭の中で「そんなのは違う」とか、「負けるもんか」とか言いながら生きて いる。頭の中に自動的に浮かんでくる思考にはほとんど無反応なのに、自分が重視する思 考には過剰に反応する。何が重要で何が重要じゃないかなんて、最初から決まっているわけじゃないのに!
 
ネガティブな声は人生の大敵だ。「大変だ」と自分に言うほど、本当に大変な気がしてくる。残念ながら、私たち人間はそうした自動思考を常に耳にし、ネガティブな声が頭の 中で鳴るのに慣れている。そうした思考の影響に気づかないまま、頭の命じるがままに行動している。
 
・のちにローマ皇帝になったストア派の哲学者、マルクスアウレリウスは、「大切なのは、つらいときに『なんて不幸なのだ』と思うのではなく、『がんばる機会が 得られて運がいい』と思うことだ」と言っている。 問題をどうとらえ、どう表現するかは、すべて自分次第だそれは足かせにもなれば、 前へ進むための踏み台にもなる。人生を沈ませることもあれば、浮かび上がらせることもある。

最初の一歩は、自分のためにならないしゃべり方はやめて、ためになるしゃべり方を意識することだ。正しい言葉を使い、問題を別の角度からとらえ直すことで、 ものの見方、世界との関わり方は劇的に変わる。 
 
「仮にどうしようもない出来事が起こったとしても、そのあとどんな人生を送ったかは100パーセント自分の責任だ」と。どんなときも、必ず。言い訳はナシだ。意志とは、今とは別の視点で人生を歩み、状況に向き合う姿勢のことだ。その過程はあなたから始まり、あなたで終わる。意志を持つのはほかの誰でもないあなた自身だし、前へ進む意志をあなた自身がしっかり持たない限り、前進はできない。
 
・だからこそ、私はクライアントに必ずこのアサーティブな言葉を最初に覚えてもらうようにしている。「私には意志がある」「何かをする意志があるか?」と自分に問いかけてほしい。問いかければ答えが必要にな る。ぼんやりと宙を漂ったりはしない。意志があるかという問いかけは、反応を引き出す。 その言葉には、あらがうことを許さないパワーがある。真実を求める、まごうことなきパ ワーがある。自分に問いかけてほしい。自分はジムへ通う意志があるか。ずっと先延ばしにしていたことに取り組む意志はあるか。人間関係の不安と向き合う意志はあるか。給料アップを求めるか、さもなくばこの最低の仕事を辞める意志はあるか。
 
・満足感も充実感もないまま、ただ生きるためだけに生きるのはもうイヤだと思って、はじめて変化のための努力をしようという気になれる。がまんするのはもうイヤだと思って はじめて、シャベルを手にして掘り始めようという気になれる 。「こんなのもうイヤだ」という思いは、ときとしてこれ以上ないモチベーションになる
 
人生で起こるすべての出来事は勝利だ。あなたは自分では、人生の負け組だと思っているかもしれない。しかし信じられないかもしれないが、あなたは本当は勝っている。人生で起こるすべての出来事は勝利だ。これは事実だ。ただの気休めでもないし、読者を喜ばせるためのキャッチフレーズでもない。 あなたはチャンピオンだ。いくつもの目標をノックアウトし、連勝街道を走ってきた人間だ。あなたが頭で思い描いたことは、どれも現実になっている。
 
自分は何に「勝っているのか」を振り返る。まだ納得できない? そういう人は我が身を振り返り、自分がいったいどこで勝っているかを確認してほしい。 そこは、あなたが問題を抱えている部分だ。あなたが人生で一番苦戦しているのはどこ だろう? キャリアアップか、よくない習慣か、それとも食生活か。きっとあなたは、その何かをギリギリまで先延ばしにしているはずだ。あとにして、あとにして、そしてこれ以上はもう先延ばしにできない、これ以上あと回しにしたら間に合わないというプレッシャーがのしかかってきて、慌てて取りかかるのがお決まりのはずだ。
 
「先がわからないからおもしろい」
 
あなたは中毒にかかっている。自分ではどうしようもないほどその「ドラッグ」に頼りきりなのに、ドラッグが人生に 及ぼしている影響に気づいてもいない。あなたが痛切に追い求めているそのドラッグを「予測」という。明日は雨が降るだろうか。株価はどうなるだろう。スーパーボウルで優勝するのはどっ ちのチームか。あなたはいつも先を見て、何が起こるかを実際に起こる前に突き止めようとする。なぜか。確実さがほしいからだ。人間は、はっきりしたものを求め、不確実な状況を避けたがる。 これから起こる出来事や、行くべき場所、着るべき服を知りたがる。前もって準備をしたがる。安全をほしがる。これはもう、願望というよりは中毒に近い私たちは実際に会う前から相手を値踏みし数秒で性格を予測する。
 
・世の中には、リスクを取る人を称賛し、不確かな状況を受け入れようと訴える標語があふれている。リスクを積極的に取る姿勢が、内に秘めた力を発揮し可能性を実現することとイコールだと誰もがわかっている。それなのに、多くの人は自分だけの小さく整った確実な世界に閉じこもっている。それには理由がある。少し前まで、世界は人間にとってすごく危険な場所だった。未知の状況へ踏み出す一歩一歩が、死神と踊るダンスのステップだった。生はロシアンルーレ ットのような大博打だった。誇張抜きに、誰もが日々、恐ろしい野獣のディナーの前菜や、 大自然のブラックジョークの哀れな犠牲者になる危険と向き合っていた。
 
・確実さに対する執着は悲劇だし、非生産的だ。理由は二つある。まず、何か新しいことが起こる可能性があるのは先の見えない領域だ。不確実さはチャンスへ至る道筋になる。どうなるかわからない環境でこそ、人は成長し、新しい体験をし、 かつてない新しい成果を生み出せる。先が読めない状況でこそ変化は起こる。
 
安全を求める思いと、偉大で崇高な冒険とは相いれない。(タキトゥス ローマの政治家、歴史家)
 
慣れ親しんだものにしがみつき、これまでと同じことを続けるのは、過去に生きている のと同義で、前に進んでいない昔はリスキーだったがその後ルーティンに変わったこと を繰り返しているだけだ。
 
考えてもみてほしい。家を一歩も出なかったら、どうやって新しい場所へ行くのか。知らない人と会わなかったら、どうやって友達を増やし、恋を始めるのか。同じことばかり 続けていて、どうやって新しい何かを始めるというのか。何もできやしない。現実世界では、知らない人はおろか、知り合いの行動を予測することだって不可能だ。チェックアウト待ちの列だろうと、ナイトクラブだろうと、銀行だろうと、たくさんの人が関わっている状況に、いくつもの不確定要素が絡んでくることは避けられない。それ どころか、自分の思考や感情の半分を予測することだってできっこない! 慌てて何かを決めて、あとになって考え直した経験がどれくらいあるかを考えてほしい。人生で何か大きなことを成し遂げる人は、それをわかっている。彼らは不確実さを歓迎していた。 

要望を出すというリスクを取らないで、どうやって昇給を勝ち取るというのか。安全で 確実な状況にとどまって、どうやってキャリアアップを図るのか。できやしない。確実な成功なんてものは、ありえない! 成功にはリスクがつきものだ。 最高に頭がよくて勤勉な人でも、何かが保証されているということはない。
 
・なぜそんなことになったかというと、ぬるま湯につかっているからだ。彼らは何年ものあいだ、目標を達成するために安全圏を離れてがんばってきた。ところが見通しのきかな い状況よりも確実な状況を選んだ瞬間、結果が出なくなった。壁にぶつかった。なぜそんなことになるのだろう。それは、何か目標を達成し、お金を手に入れ、成功を つかむたび、未来が少し確実なものになったように思えるからだ。預金が増えたのを見て、 安心感を抱かない人はいない。
 
・よくわからない状況から逃げて確かさを追い求めるのは、単なる幻想を手に入れる代償 に人生で唯一確実なことを否定しているのと同じだ。ソクラテスは「唯一わかるのは、自分が何も知らないということだ」と言った。賢人の多くは自分の無知を理解していた。というより、ほとんど何も知らないという自覚を知恵のよりどころにしていた。
 
・現実だと思われていることも、いずれは時代遅れの古くさい考え方だとみなされるようになる。そうした理解の限界はほかの分野にも存在する。今「わかっている」と思うことさえ真実かどうか定かじゃないのに、明日起こることがどうやってわかるのだろう。もう気づいていると思うが、安全な場所にしがみついたところで、本当の安心感は得られない。「もっと何かできるんじゃないか?」という感覚はいつだってしつこく残る。今 よりもいい人生を求める気持ちが消えることはない。居心地のいい今にとどまろうとするほど、明日への不安は増していく。目的地なんて実 際にはありはしない。あるのは探検して、探検して、探検する日々だけだ
 
・どうあがいても理解したりコントロールしたりできないことであっても、無理に理解したりコントロールしたりしようとする。生まれ落ちたときの美しい世界に囚われていて、抜け出すことはできそうにない。しかし、抜け出す方法がないわけじゃない。そのためには、考え方をシフトさせてほしい。不確実な状況を楽しもう。この章のアサーティブな言葉は「先がわからないからおもしろい」だ。不確実な状況に真正面から跳び込もう。それを愛でよう。堪能しよう。
 
「先がわからないからおもしろい」このシンプルな言葉を口にすることで、あなたの生き方は一変する。人生は一瞬ごとに変わっていく。唯一確実なのは、この先どうなるかな んてわからないということだけ。わかるのは、わからないということだけだ。さあ、こう言って楽しもう。「先がわからないからおもしろい」
 
人生は、思考ではなく行動で変えるものだ。もっと言うなら、考えと行動とが一致すると、奇跡のようなことなことが起こる。 行動をともなわない思考はただの思考だ。あなた自身やまわりの人、状況に対するネガティブな思考は放っておけばいい。大した影響はない。
 
・行動が思考を変える。行動のメリットは二つある。第一に、行動すれば必要なことができる。当たり前だ。そして次に、おもしろいことに 行動は思考を変える一番の近道になる。理由はいくつかある。自分のためになることをやっていれば、行動と思考が近づいていく。逆に思考が人生や健康、貯蓄といった本人の利益を損ね、思考のせいで内に秘めた力 を引き出せなくなることもある。不安や恐怖、怠慢、怒りに支配される日々を送っている人は、前に進めない。
 
一方、やらなくてはならないタスクにすぐ取り組むようにすると、やがてそれは直感的な行動になり、次第にネガティブな思考から切り離されていく。自分の弱さを嘆いたり、ためらったりしなくなっていく。何かに完全に集中しているとき、不安や頭の中のネガティブな会話は消えてなくなる。 あなたにも経験はないだろうか。意識的に全力で没頭すると、心の声はどんどん小さくなっていくことを。
 
・行動と思考の関係には、もう一つ大事なポイントがある。思考が現実になるのは本当だ。しかし、思考は行動を通じてはじめて人生になっていく。それまではただの思考でしかない。 思考はミラーハウスの鏡に似ていて、人生やあなたの内に秘めた力をゆがんだりぼやけたりした形で見せる効果がある。心は現実とかけ離れた形で世界をとらえやすい。その原因は、解釈や誤解、習慣、常識、 文化的、家族的な価値観だ。それは人生の上に重ねた紙に描かれた絵のようなもので、そ のデザインに合わせようとすればするほど、現実は息苦しいものになっていく。
 
人生を変えるには行動を変えることだ。それがただ一つの方法だ。まだ動けない? それなら、知っている中で一番偉大な人物を思い浮かべてほしい。
 
ガンディーやリンカーンは、疑念や恐怖、不安といった思考に押しつぶされそうになることはなかっただろうか。ニコラ・テスラやスティーブ・ジョブズは?彼らが毎朝申し 分ない気分で目を覚まし、「すべてはバラ色になる」なんて歌が頭の中で鳴るような日々を過ごしていたとあなたは本当に思うだろうか。そんなはずはない!彼らだって、あなたと同じ最低最悪の気分を味わうこともあったが、それでも動いた。ネガティブな思考をぎゅっと縮め、脇へどけて未知の領域へ踏み出 した。それは積極的な取り組みだ。彼らはたまたま偉大なことを成し遂げたわけじゃない。行動したから偉業を成し遂げたのだ。彼らが動かなかったら、彼らが何に情熱を燃やしていたのか、私たちにはわからなかっただろう。偉業や知恵を目のあたりにすることもなかっただろう。
 
ネガティブな考えが浮かんでゆううつになったときは、すぐ行動しよう。思考は無視して行動しよう。自動思考や感情の命じるままに動くのではなく、自分のためになる行動を 取ろう。やればやるほど慣れていき、いずれハッと気づくはずだ。「あれ、やれるじゃん。 自分は成長してる!」と。
 
心がやる気になるのを待っていてはいけない。行動せずにいると疑念や恐怖が生まれる。行動すれば自信と勇気が生まれる。恐怖を克服したいなら、 家でじっと考えるだけではいけない。外へ出て忙しく過ごさなくてはならない
 
「自分は思考ではなくて行動だ」あなたはあなたの思考じゃない。思考は頭の中をランダムに流れるものの集合にすぎず、 ほとんどコントロールできない。ポジティブで前向きな思考を持つのは大事だ。けれども、ただ待っているだけでは望み のものは手に入らない。心と体に負荷をかけ、何かを体験し、恐怖と向き合い、失敗という形でも何かを最後までやり遂げてはじめて、本当の意味で自分を変えられる。世界で一番賢い人間だって、行動しなかったらその賢さはなんの意味も持たない。「自分は思考ではなくて行動だ」という言葉を、この次「気が乗らない」ことがあったら 思い出してほしい。仕事に行く気がしなかったり、人生の重大な決断をする気になれないときに。自分に自信がなくて最初の一歩を踏み出せないときに。ネガティブな思考は一切忘れよう。ただ踏み出そう。続けてもう一歩。さらにもう一歩。あなたは思考じゃない。行動だ。
 
・ぴったり当てるのは難しいが、わかることが一つある。あなたはたぶん、落ち着かない 状態にあった。少し別の言い方をするなら、「安全圏」の外でがんばっていたはずだ。キャリアに汚点が付くようなリスクを取るときに感じる緊張感や疑念から、いつもより 5分長くルームランナーで走っているときの脚の痛さや息の苦しさまで、不快感と不確実性、リスクから最大の成功は生まれるものだ
 
努力や痛み、困難をともなわない物事に、価値のあるものなど一つもない。(セオドア・ルーズヴェルト
 
・自分が上っているかも下っているかも、何割くらい来たのかもわからない。そんなとき、 あなたを前へ進ませるものは一つしかない。それはがむしゃらさだ。何が起ころうと動いて、動いて、動き続ける勢いだ。「気分」は関係ない。不安や疑念に押しつぶされそうかも関係ない。本当のがむしゃらさは、後れるものがほかに何もなくなってはじめて感じられる。すべ てをなくし、成功の見通しや希望がとっくに消え去ったとき、がむしゃらさは人を前へ進ませる燃料になる
 
・物理学的な確証もなかったし、成功した人もいなかった。それでもライト兄弟の2人は必ず飛ぶと決意し、そのためにがむしゃらに努力した。2人の取り組んだ課題と、あなたが抱えている問題を比べてほしい。ほとんどの人の問題は、世界初の飛行機を発明するという大それた目標よりは簡単なはずだ。もっとお金がほしい、恐怖と向き合う勇気がほしい、運命の人を見つけたい、ダイエットしたい、浮上のきっかけがほしい。どれもあなたと同じ普通の人の手で、これまでも達成されてきて、これからも達成される目標だ。
 
シュワルツェネッガーは不可能だという意見に納得しなかった。がむしゃらにやった。毎日、何時間もジムでトレーニングし、身体を大きくした。ポーズの練習をした。本を読んだ。ビジネスを学んだ。映画のオーディションをいくつも受けた。がむしゃらに。あきらめるとか、計画を変更するとかいった選択は頭になかった。シュワルツェぇッガーの歩みからは大事な教訓が得られる。これは、必死合はその人に残された最後の武器になるということだ。
 
がむしゃらになるコツは、目の前の問題に集中すること。全神経を注ぐことだ。そうやって、すべてをなくしたように見える中でも前進する人間になろう。答えは常にそこにあ る。あとは見つけるだけだ。前に進んでいけば、今度は次の壁にぶつかるだろう。そうしたら今度はそれに全神経を注いで乗り越える。乗り越えたら次、その次、その次と進んでいく。そうやって進んでいれば、自分がどこに向かっているか不安に思うことはない。目的地 まであと何キロ残っているかなんて気にならない。障害を避けるより、障害を求める人間になっていく。それこそが成長と成功のカギだからだ。あなたはただ、そうやって一歩ずつ進んでいく。
 
・進み続けるべきか、それとも引き返すべきか迷うくらいなら、がむしゃらに行こう。がむしゃらさには一つの方向しかない。それは前だ。選択肢も一つしかない。勢いを持って進み続けることだ。ギブアップはナシ。断念もナシ。予定変更もナシだ。
 
・努力が無駄というわけじゃない。前進はしている。1回のエクササイズ、1回の足の動き、1回の運動、1回の行動ごとにあなたは成長し、少しだけ目標に近づく。そしてある日、あなたは鏡を見てこう思う。「ワオ!」事業や健康、キャリア、恋愛でも同じことだ。何も起こってないように見えても、実際には変化が生まれている。目に見える成果はなくても前進している。そしていつの日か、あなたは預金通帳や、新しい仕事や、子どもや、マイホームを見てこう思う。「ワオ!」 だからこそ、人は歩み続けなくちゃならない。がむしゃらに。
 
・夢見ていたのはこんな日々じゃない。これは何かの間違いじゃないだろうか。気持ちが どんどん暗くなり、恐ろしい可能性がちらつく。努力がすべて水の泡と化し、昔の上司の元へほうほうのていで戻って、また働かせてくださいと言わなくてはならない可能性が。「うわあああああああ!!!!」まあまあ落ち着いて。感情が先走ってしまったときは、一歩下がってみるといい。
 
・ところが、実はそれと同時に隠れた期待も組み上がっている。それは最高のアイデアの泉にできたひび割れや裂け目で、イデアを軌道に乗る前からダメにしかねないものだ。 先ほどのビジネスの例なら、契約を失うことは「想定外」だったそして契約を失ったこと以上に、期待どおりにいかなかったことに心が折れた。自分が隠れた期待を抱いているかどうかは、失望や恨み、後悔、圧迫感、怒り、無力感 を味わうかどうかでわかる。気持ちがなえたり、大胆さや冷静さをなくしたりすることが あるなら、それは隠れた期待を持っているという意味だ。自分が自分ではいられない場面をよく振り返ると、現実とあなたのシナリオとのあいだ にずれがあるのがわかる。結婚にうんざりしているなら、「こうなるはず」という当初の 期待と現実とのあいだにギャップがあるからだ。貯蓄でも、ダイエットでも、新しい仕事 でも、なんにでも言える。
 
・問題が人生をおかしくするのではない。隠れた期待がおかしくするのだ!
 
・そこで提案だ。期待を切り捨てよう!期待を手放すのだ。今すぐに!不必要で非生産的な期待にしがみついて泥沼にはまるより、人生は予測がつかないという事実を受け入れ、実際の状況と向き合うほうがずっとパワフルだ。世界は絶えず変化している。誕生と死、成長と破壊、栄光と転落、夏と冬。何も変わっていないように見えても、同じ日は1日としてない。
 
同じ川に二度、足を踏み入れられる人間はいない。(ヘラクレイトス
 
・そしてすべてを受け入れるとは、仕方なく妥協するという意味じゃない。引き受けて責任を取るという意味だ。覚えておいてほしい。自分が権利と責任を持っているものは、いつでも変えられる。問題を解決する唯一最大の効果的な方法になることもある。だから引き受けよう。
 
望みどおりの事象を起こそうとするのではなく、あるがままに起こることを願えば、すべてはうまくいく。(エピクテトス
 
「何も期待せず、すべてを受け入れる」このシンプルな言葉一つで、頭の中を抜け出し て人生へパワフルに跳び込んでいける。思考を抜け出して現実を生きられる。問題も、困難も、けんかも、落胆も、どれも人生の一部だ。そうしたものに足を取られちゃいけない。感情に左右されるだけの泥沼の人生から抜け出し、最高の自分の最高の力を引き出そう。そうした人生を毎日送れるような環境をつくろう。 あなたの人生、成功、幸せはすべてあなたの手の中にある。変えていく力、手放す力、 冒険心と内に秘めた力はどれも手の届くところにある。ほかの誰かにあなたを助けることはできないし、あなたを動かすこともできない。すべ てはあなた次第だ。そしてそれがわかったら、変わるのに最適なタイミングは今しかない。
 
・はっきり言おう。死の床のあなたが後悔しているのは、何も成し遂げられなかったとか、目的のものが手に入らなかったとかいったことじゃない。挑戦しなかったことだ。がんばらなかったことだ。つらくなったときにあきらめてしまったことだ。登山家だって、誰もが登頂に成功するわけじゃない。ときには引き返し、装備を整え直 し、何度も挑戦する。けれど彼らは、下界にとどまることをよしとしない。だらだら過ごしたり、登らない言い訳をしたりもしない。ただテントを荷物に詰めて前へ進む。そして この世を去るときは、自分が全力を尽くしたことを感じながら息絶える。すべてを出し切 ったことを。山を愛していたことを。
 
いいなあ。勇気づけらるなあ。そうだ!行動だっ!もっともっとチャレンジしていこう!!!超オススメです。(^^)