「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「江戸・東京を造った人々1 都市のプランナーたち」(「東京人」編

この本は感動したなあ…。数知れぬ先人たちの努力のおかげでこの大都市・東京ができたんだと思うと実に感慨深い…。(TдT)

江戸開府400年を迎えた東京。世界屈指の巨大都市へと発展してきたこの都の基石を築いたのは、いったいどのような人々だったのか?雑誌『東京人』に5年にわたり、江戸・東京問題に造詣の深い執筆陣によって連載された、意表をつく47本のユニークな人物論をまとめたものが本書」。なかでも最も感動したエピソードを紹介しよう。


【日本初の地下鉄をつくった早川徳次】(佐藤一美)



第一次世界大戦が勃発して間もない1914年9月、ロンドンの交通機関の発達ぶりに脅威のまなざしを注いでいる一人の男がいた。後に地下鉄の父と呼ばれるようになった早川徳次(のりつぐ)である。市内にはおびただしいバスが走り回り、441キロにおよぶ路面電車、402キロ以上の高速鉄道が運転されていた。さらに徳次を驚かせたのはテムズ河を潜って地下鉄というものが走り、路線が全市に網の目のように張り巡らされていることだった。


地下鉄は都市の美観を損わず、地上の交通にも支障なく走らせることができる。東京の交通混雑を打開するためにも、地下鉄の建設が必要だと考えた徳次は、ロンドンに都市造りの研究に来ていた日本の学者や技術者たちに意見を聞いた。ところが異口同音に「東京は昔、海だったから地盤が軟弱で無理だ」という返事が返ってきた。しかし徳次は、「地下鉄の敷設は大都市発展のためにも必要欠くべからずものである」と確信した。しかし実現には、なお多くの困難と長い年月を経なければならなかった。


着工以来二年余り、1927年、元号が改まって昭和2年12月30日、地下鉄開業の日を迎えた。6時の始発を前にどっと人が繰り出して長蛇の列が出来、5分の乗車区間に一時間は待った。改札口はターンスタイルといって運賃の十銭玉をコインボックスに入れると腕木が一人分動く自動改札機。徳次は運ばれてくる十銭玉の包みを我が子のように抱き上げて「わたしたちの事業も、ようやくここまで来たか」とあたりかまわず男泣きにないた


ずいぶん省略したが、地下鉄をつくるのに、想像を絶する困難があったなんて、まさにプロジェクトXものだね。本の巻頭は徳川家康だよ。家康が江戸を切り開いたんだよね。オススメです。