中学生の時、部活は野球部、クラブ活動は落語クラブだった。文化祭で「疝気の虫」「ろくろっ首」など演じたような記憶がある。そして最も夢中になったのが、昭和の爆笑王、林家三平師匠! 観客を巻き込むダイナマイトのような笑いが今でも忘れられない。
さてこの本は、柳家小三治、三遊亭円丈、林家正蔵、春風亭昇太、立川志らくの5人の人気落語家が、「前座修行」について語ったもの。これはオモシロイ!どんな世界でも下積み修行があるんだね。そのエッセンスを紹介しよう。
【柳家小三治 修行の根本は手を使い、心をこめることだ】
・修行時代に、ある感覚的な発見をしたんです。「無精しないで、ちゃんと手を使え、身体を使え」とひっぱたかれて覚えていった家事ですが、ふと気が付くと気持ちがいい、楽しくなっている自分を見つけた。両手がだるくなるほど、下駄の歯をきれいに磨き終えたあと、嬉しさが心に走った。これは以外な発見でしたね。両手を添えて拭くその姿勢、その心が大事なんだと。そこに修行の深さがある。
物事には、きちんと腰を据え、両手を添えて相対するするという気持ちが大切なんだと、厄介な掃除を通して教わるんです。そして、それが落語に出る。小さんはよく「人間は正直でないと、いい噺はできない。ずるいやつには、ずるい噺しかできない」と言っていた。
師匠の家での家事見習いとは、結局人間見習いということ。人としての思いやりや心としての礼儀、物事万事への心構えなどを教えてもらうのが前座修業。この時代に、人間としての筋を一本通すことを身につけられるのだから、けっこうなひとときといえる。
【三遊亭円丈 好きに生きるためには、自分を殺す時代があっていい】
前座はつらいですよ。だって、人間じゃないんだから。前座って立場は。自分というものを完全に殺して師匠のため、楽屋のために這いつくばって一日中働き、その合間に噺を覚えるという苛酷な生活だから。噺家というのは、とんでもなく自由な仕事なんだ。仕事がなけりゃあ、寝たいだけ寝ていられるし、寄せで15分ほどサッとやって引っ込めば、それで仕事をしたことになる。怠けようと思えばいくらでも怠けられる。朝から酒を呑んでたっていい。自己を規制するものがまったくない職業なんです。それだったら、一生のうち、せめて前座のときだけでも自分を厳しく律する時期をもつものはいいことだろうなと。
【春風亭昇太 未熟であってもプロはプロ。どんな言い訳もそこにはない】
三平師匠の名言、「笑わせる 腕になるまで 泣く修行」お後がよろしいようで。オススメです。(・∀・)