「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「プロ野球燃焼の瞬間 宮田征典・大友工・藤尾茂」(澤宮優)

プロ野球が誕生して80年。私たちは先人たちの活躍を忘れかけている。それはイカンっ!(゜o゜)

著者のノンフィクションライターの澤宮優氏は、過去活躍した隠れた名選手にスポットライトを当てている。この本では、彗星のごとく活躍した読売ジャイアンツの3人の選手にスポットライトを当ててているのだ。そのエッセンスを紹介しよう。


・常に優勝を宿命付けられている巨人軍という巨大な組織の中にあって個人がいかに自分自身を出し切ってプレーをしたのか、V9のリリーフエースで20勝を挙げた宮田征典、年間30勝を挙げた戦後のエース大友工、戦後のベストナイン強肩強打の捕手藤尾茂を通して書きたかったのである。共通点は、全員が栄光の瞬間が短命であったことでファンには強烈なインパクトを残している。ある意味で悲劇の選手たちであるが、損得も考えずにすべての力を出し切った生き様は悲劇を超えて、男の颯爽とした潔さを感じさせる。


【伝説の巨人軍最高の捕手ー藤尾茂】



藤尾茂ー昭和28年に巨人に入団し、昭和31年から34年まで正捕手を務め、四年連続ベストナインに選ばれた強肩強打の名捕手である。だが、不本意な外野手へのコンバートがあって肩の怪我に悩まされ、いつしか輝きを失った。この間、森が正捕手の座に就き、以後V9の時期は彼が巨人のホームを守り通した。藤尾はV9の前に巨人を去っているが、「巨人軍最高の捕手は森ではなくて、藤尾だ」という人も多くいる。森がインサイドワークに秀でた地味な印象を与えたのに比べ、藤尾はメジャーリーガーを彷彿とさせる本塁打を打ち、ファイトを前面に出した豪快な大型捕手だった。


・水原は藤尾のスローイングを見て、「稀に見る強肩の持ち主、小気味のいい鉄砲肩」と評した。そして100メートルをスパイクを履いて11秒3で走るという脚力は捕手でありながら得な長所だった。


堀内庄(あつし)「藤尾さん足は速いし、強肩だし、体はいいし、バッティングは鋭いし、何もかも揃った選手だと思いました。とにかく強肩だったですよ。リードは中央突破型でした。バッターは力だったこちらも力でいこうぜ。ツーストライク取ったら、三球三振を狙って一気に勝負をかけようぜといった具合です」


川上哲治「最近しばらくの間名捕手がいないと嘆かれていた。しかし藤尾を得て、この嘆きは返上できる体勢になって来たと言い得ると思う。強肩、強打、攻守、好走も四拍子も揃った近来の大物捕手だ」


・コンバートは藤尾が選手としてすべてが揃いすぎていたために、もっと彼の肩や足や打撃を活かそうと取られた方針であった。捕手として失敗したわけではなく、守備のセンターラインを強化するために考えられたものだった。昭和38年に沢村賞を取った左腕のエース伊藤芳明は言う「今で言う元ホークスの城島が外野に行くようなものです。ずっと捕手をやっていうれば、記録の面でも華々しい記憶もありますから、もっと野球界に名を成した人だと思いますね。自分の大事なポジションを明け渡したことは、悔やんでも悔やみきれないでしょう」


・評論家の浜崎真二「川上が現役を退いた現在、巨人の再建は、広岡と藤尾が果たすべきであり、長嶋に期待を掛けるべきではない。巨人に長くいる彼らがチームを牽引して行くのが当然だ」(「週刊野球」昭和34年5月13日号)


・藤尾「森は投手の球速が落ちたら、正直に“落ちました”と言うのです。あるいは“ここに私が投げろと言ったのに、投手がここに投げて打たれました”とはっきり言う男なです。僕が高校時代に受けた教育というのは、“捕手女房役なんや、投手を悪く言ったら駄目なんだ”と、打たれたら、“私が悪い、私が投げさせたんです”と言う教えでした。森はその反対だった。僕は生一本ですな。そこで引いておけばええのに、正直に反抗してしまった」「もし、私が強肩だけで、さして長打力もなく、快脚でなかったら、捕手のポジションで納まっていたかもしれない。森くんだって、最初は打てないキャッチャーだったのだから…逆説的に聞こえるかもしれないが、長打力や脚力を生かしたほうがいいと、外野に転向したのが、そもそもの不運を招くことになったのだと思う」


「八時半の男伝説ーリリーフエース宮田征典



軟式野球のエースー大友工」



そういえば、亡き父が、藤尾捕手、大友投手、宮田投手のことをよく話していたっけな。現役時代を見たかったなあ。野球フェンにオススメです。(・∀・)