昨年、ジャイアンツのドラフト1位の菅野智之投手がセ・リーグのMVPに輝いたね!やったね。(・∀・)!
さて、この本。PL学園の桑田・清原もそうだけど、ドラフト会議で泣く人笑う人、様々なドラマがあるよね。
ドラフト1位は、栄光でもあり、見方を変えれば修羅にもなる。彼らは十代や二十代初めで、その十字架を背負った。そこで入団するか、拒否するか、人生の最大の選択もしなければならなかった。それが吉と出るか凶と出るかは、その後の彼らの野球人生が証明している。ただどういう結果が出ようと、彼らは死ぬまで、「ドラフト1位」という称号を背負いながら生きてゆかなければならない。その中で私が子どものころの記憶がいまだだに残っているヤクルトの荒川尭選手の悲劇を紹介しよう。
【暴漢と「三角トレード」早稲田大学/大洋→ヤクルト・荒川尭内野手】
当時のヤクルトの監督荒川博といえば、王貞治に一本足打法を伝授した名コーチで世界一のホームランバッターに育てた野球人。「長嶋二世」と言われたその息子・尭も早稲田大学時代は、本塁打を量産する名選手だった。しかし、三角トレードという、一度ある球団に入団してから、トレードで希望する球団に入るという方法を選んだ彼は、暴漢に襲われ棒で殴られ、視力障害に悩んで、やがて右目がほとんど見えなくなり、昭和50年に引退した。ある意味でドラフト制度の悲劇だ。
「今だったら大洋に入ったと思いますね。それに逆らうなら相当のリスクがありますから。古今東西を問わず、どの世界、時代にも新しいことをやる人はいろいろと言われる。規則を破ると必ずしっぺ返しが来るんですよ。僕は暴漢に襲われたし、いろいろ詰罵られもした。ただ、ウェーバーにするしかないでしょう。選手は可哀想ですが。希望枠ができてお金の問題も出てきたらね」
願わくば神宮で見せた大器ぶりをプロ球界でも見せて欲しかったと思うのは筆者だけではあるまい。惜しみて余りある逸材であった。
その他、「「ブレービー」に入ったパイオニア 武相高校・巨人・島野修投手」「未完の大砲からスカウトへ 慶応義塾大学・巨人・大森剛内野手」「悲願の1勝 中京高校/阪急・野中徹博投手」「幻のドラフト1位?のサラリーマン人生 慶応義塾大学・志村亮投手」など。
いや〜ジャイアンツの現在スカウトの大森剛のホームランは忘れらない…。野球ファン必読!オススメです。(・∀・)