「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史」(村瀬秀信)

この本は良いっ!12球団の中で最多の「4522敗」も喫してきた大洋ホエールズ横浜ベイスターズ


「5年連続最下位。でも、応援するんだよ。“98年の奇跡”から一転、泥沼にはまった最弱球団が「熱く熱く立ち上がる」まで。現役 選手、OB選手、歴代の監督やコーチ、球団社長など総計34人の関係者が語り、生まれついての横浜ファンの作家が魂を削って綴った、ホエールズ& ベイスターズの歴史を徹底総括する渾身のノンフィクション」そのエッセンスを紹介しよう。


大洋ホエールズ横浜大洋ホエールズ横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズは、セントラル・リーグが発足した1950年から2012年までに、12球団最多の4522敗を喫してる。その敗戦の中に息する数多の記憶を共有する人達へ。


・1988年、数年前まで最下位争いの常連だったベイスターズが、野村ヤクルトのID野球を打ち破り、巨大戦力の長嶋巨人を力でねじ伏せての優勝。その強さは横浜ベイスターズの黄金時代の幕開けを予感させるものだった。バックネット裏では、38年前の優勝時のエースの秋山登が、球団初の2000本安打を達成した松原誠が、横浜大洋の中軸として活躍した高木豊が泣いていた。佐々木主浩石井琢朗はセンパイたちの姿を見て、熱いものがこみ上げてきた。


1番ショート石井琢朗、2番セカンド波留敏夫、3番レフト鈴木尚典、4番セカンドR・ローズ、5番ファースト駒田徳広、6番ライト佐伯貴弘中根仁、7番キャッチャー谷繁元信、8番サード進藤達哉、史上最強のマシンガン打線はまだ20代が中心だった。その年のゴールデングラブ賞を総ナメにした鉄壁の内野陣・ダブルエースの野村弘樹と斉藤隆に、川村丈夫三浦大輔戸叶尚の先発陣。五十嵐英樹島田直也阿波野秀幸ら、盤石の中継ぎ陣。そしてストッパー佐々木主浩。すべてのパーツが見事にハマっていた。あの日の横浜の幸せな光景は、一生忘れない。次から次へと涙が溢れてくる。こんな夜があるならば38年間ぐらい我慢できる。何があろうと一生、ベイスターズと生きていける。そんなことを誓えた最高の夜だった。


・98年からの3年間、01年まではAクラスを確保。しかし02年に最下位に転落すると、その後は12年間で9度の最下位。しかも08年からの5年連続最下位は、いずれも100敗目前の勝率3割台。首位に30ゲーム差以上つけられるという絶望的な最下位だった。


・大洋には監督人事に関してこんな格言があったという。「クジラと監督は外から獲ってくるもの」…至言である。話題性がある、力がありそう。そういうところを基準に、外からクジラの如く獲ってくる。それでダメならすぐに切る。外から来る監督は短時間で結果を出さなきゃならない。だから将来のチームよりも目先の勝利を取りに行く。結果が出ない。監督が変わる。そうなれば戦略もコロコロ変わる。若手も育たない。チーム愛も育たない。それが今日の結果を招いているんですよ。


・ある選手は、大洋ホエールズというチームを一艘の船にたとえ、そのファミリー感を表していた。それはファンの間でも言えることだ。暗黒期のど真ん中。横浜スタジアムに行けば、自分と同じように、やるせなくて、悔しくて。こんなチームもいいと嘆きながらもスタジアムに吸い寄せられている人たちがいた。球団創設以来、どうしようもなく個性的で、しつけが悪くて、憎めないそのチームが記してきた。4522敗の敗戦。その嘆き、痛み、どうすれば勝てるかという悩み、そして勝った時の喜び。そんなものをこのチームを愛した人間は共有してきたのだ。立場も年代も関係ない・そこにあるのは。弱くても強くても、最高に面白いことをやってのける、このチームがどうにも愛しいという思いだけだ。


特に、西武黄金時代を築いた森祇晶氏。大洋の再建を求められていた名将、古葉竹識氏のくだりは特にオモシロイ。野球っていいなあ。すべての野球ファンに贈ります。オススメです。(・∀・)