ジモト、小田原出身の野球人といえば、大洋ホエールズのオバQこと田代富雄。いまでもあのダイナミックなホームランとヘルメットにつけられた星マークが忘れられないよね。(・∀・)
親会社の変遷と、募る球団への不信感。ホエールズ時代を知る盟友たちが次々と去る中、クジラの伝統を守ろうと、最後までもがき続けた田代。運命に翻弄されてなお輝いたその野球人生。ホエールズの選手のままバットを置いたのが田代だ。つまり、野手として残っていた最後のクジラが、田代だったのである。そのエッセンスを紹介しよう。
・田代は185センチ、88キロと、当時としてはかなり大柄な部類に属する身体の上に、巨大な岩石を思わせる顔が乗っている。エラが張っていて、切れ長の目が細い。一目見たらわすられないそのいかつい顔が、ホームランを打った途端くしゃくしゃになり、人懐こそうな笑顔に変わる。そんな田代のバッティングを見ることが、彼が手法として活躍した70年代から80年代前半まで、一度も優勝の喜びを味わえなかった大洋ファンの楽しみのひとつだった。
・田代は77年から86年まで、10年連続で2桁のホームランを打っている。うち80年から85年までは6年連続で20本以上をマークした。77年の5試合連続本塁打をはじめ。1試合で3本塁打したことが3度、満塁本塁打も7本と、一度も個人タイトルを獲ったことがないにもかかわらずホームランにまつわる印象的な記録が非常に多い。来る日も来る日も負けてばかりで、しょげ返っている顧客の目を、田代のホームランが空を見上げるように促してくれたのだ。
・田代が教え、一軍の戦力に成長した打者は、金城龍彦、内川聖一、村田修一、吉村裕基、下園辰哉、筒香嘉智ら十指に余る。田代は18歳から56歳まで横浜一筋に生き、いまもファンの記録に残る活躍を見せ、誰もが認める実績を持つ功労者だった。それほどの野球人にしては、寂しい去り際だったと言わざるを得ない。いや、寂しいというよりも、むしろ不自然ですらあった。
・松原誠はいう「要するに、田代という人間にはプロとしての欲が足りないんです。何より、おれはこれでメシを食っていくんだ、というがっついたところがまったくない。まさ過ぎる。もっと打つんだ、もっと稼いでやるんだというギラギラしたものが」裏を返せば、人が好過ぎる。田代の人間としての美徳が、プロとしての成長を阻む生涯になっている」というのだ。
いいなあ、田代、人間味があって好きだなあ。今は、ジャイアンツの二軍打撃コーチなんだよねえ。応援しているよ、郷土のスター、田代!野球ファン必読。おすすめです。(・∀・)