「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

COLUMN〜「生まれ変わって「今」がある」

先日も紹介した、この本。感動的なエピソードが満載。まさに、タイトルどおり、日本一の新聞の社説だろう。
もう一つ、感動的なおはなしを紹介しよう。


「生まれ変わって「今」がある」(「日本一心を揺るがす新聞の社説」(水谷もりひと))より。


子どもの頃、その少年は「ヨシちゃん」と呼ばれていた。ヨシちゃんが生まれたのは、田舎町からさらに幾重にも連なる山の向こうの、まるで宮崎駿監督のアニメもののけ姫が出てきそうな山奥の小さな集落だ。


生まれたとき、ヨシちゃんの足は曲がっていた。頭は水頭症のように晴れて柔らかく、眼球は安定せず、乳を吸う体力もなかった。生後3カ月も経てば座る首も、なかなか座らなかった。田舎の病院では病名が付けられず、周囲からは「先祖のたたりでは?」とささやかれた。


ヨシちゃんの成長を妨げたのは肋骨のもろさだった。ちょっとした力が加わると音を立てて折れた。幼少期に骨折した回数は30回近くにも及んだ。その度に激痛が走った。両親も、祖母も、そんなヨシちゃんが不憫でならなかった。


そんなヨシちゃんには、大人も驚くような才能が一つあった。歌声だ。歌のうまさは誰もが賞賛した。村祭りや宴会があるとヨシちゃんはスターだった。得意な岸壁の母を歌って村人たちを楽しませた。


小学校に入る頃、病名が分かった。先天性骨形成不全症。2万人に一人の割合で発症する原因不明の難病だ。骨が折れやすく、なかなか身長が伸びない。ヨシちゃんは養護学校に入学し、寄宿舎生活となった。4年生頃になると病状も落ち着き、骨折もしなくなったので、地元の小学校への転入が認められた。この上ない喜びを感じた。


その後も入退院を繰り返したが、養護学校高等部の3年にもなると、随分元気になり、進学も夢ではなく、現実のものとなった。迷わず音楽大学を選んだ



日本を代表するカウンター・テナー歌手、米良美一さんの話だ。最近やっと自分の過去を振り返れるようになったという。宮崎駿監督もののけ姫の主題歌を歌って一躍有名になった、ということぐらいしか知らなかったので、その過去に驚いた。


もののけ姫で脚光を浴びた後、さらなる人生の試練があった。


自分の過去を恨み、自分の容姿を蔑み、「絶対見返してやる!」という思いで米良さんは頑張ってきた。だが、歌手としては成功したものの、何の幸福感もなかった。それどころか、歌えない、声が出ない日々に苦悩した。


そのスランプから脱するきっかけになったのは、ヨイトマケの唄との出会いだった。土木作業員をしながら自分を育てた母親を回顧する美輪明宏さんの代表作だ。米良さん自身の幼少期と重なった。


身長150センチ弱の米良さんはこう言っていた。「今度生まれ変わるとしたら、声はそのままで、身長は180センチくらいで生まれてきた、なんて虫のいいことを考えています」


「でも、こんな体に生まれてきたのは、もしかしたら、僕自身が昔、『神様、今度生まれ変わるときは、あえて重い障害を背負って、そして土方をやっているような両親に生まれてみたいです。そういう中で僕は親に孝行し、幸せを掴んでみせます。それが僕の魂を鍛えるのに一番いいと思いますから』と願ったんじゃな いかと思っているんです。そしたら自分の人生、恨めませんよね。むしろ今はこの体、そしてこの自分を、心から愛しく思えるのです」


米良さんの声を初めて聞いた時に、天使の声だと思った。天は二物を与えず、だよね。米良さんの歌を聞きたくなりました。感動です。オススメです。(・∀・)