「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「プロ野球コンバート論」(赤坂英一)

この本はいい!素晴らしい!(・ω<)

プロ野球で、コンバートで成功したスタープレイヤーから、いまなおレギュラーを目指す選手、往年の名プレイヤーやコンバートを主導したGMや名監督までを取材し、ポジション転向を巡る知られざる努力や苦悩を描ききった野球ノンフィクションなのだ。


確かに、かつては打撃の神様と呼ばれた川上哲治も、「世界のホームラン王」王貞治も、巨人に入団した当初は投手だった。松井も清陵高校から巨人に入ると、長嶋茂雄監督三塁手から外野手へ転向させられたんだよね。そのエッセンスを紹介しよう。


・野球の試合は一度の9人しか出られない。だから、プロ入りしたすべての選手はまず、自分と同じポジションの先輩に追いつこうとするところからスタートする。当然、最初はとてもかなうわけがない。人生に挫折はつきものであり、成長することは妥協を覚えることである。そういう意味で、プロ野球選手であり続けることは、夢破れ、現実を思い知らされることの連続と言ってもいいかもしれない。そしてその過酷な現実を、最も容赦無い形で突きつけられるのがコンバートだ。


プロ野球におけるコンバートとは、選手が一つの守備位置から別の守備位置へ転向させられることを指す。


21世紀以降、このコンバート最大の成功例となったのが、2013年に北海道日本ハムファイターズからオリックス・バファローズに移籍した糸井嘉男である。彼は2004年に即戦力投手として日本ハムに入団しながら、のちに外野手へ点心した。「死のうかな、と思ったぐらいです。最初は何をやってもうまくいかなくて。ぼくはピッチャーをクビになったんですよ。外野手んなんか本当はやりたくなかったんです。自信もありませんでした」糸井はしばしば、超人と呼ばれる。打っては09年から12年まで4年連続3割以上の高打率をマークし、打っては俊足と強肩を生かした抜群のフィールディングを誇る。身長187センチ、体重88キロと松井秀喜並みのパワーとスケールにイチローばりのスピードとフィールディングを兼ね備えているのが糸井だ。



・しかし糸井の今日の姿は、かつての糸井が自ら望んでいた姿ではない。「ぼくにとってはずっと、野球、イコール、ピッチャーでした。ピッチャー、イコール、野球。そのピッチャーをクビになるなんて、それまで考えたこともなかった」


プロ野球史上最初の成功例となった男、横浜DeNaベイスターズ高田繁GMはいう。


「極端な話、ピッチャーとしてはとても使えません、という選手だっていい。プロに入れたら、最初から野手にするつもりで獲ってくるんだ」

「投手から野手にコンバートして成功するかどうかは、まずはスピードだよ、足の早さ。これさえあれば使い道にこまることはない。次が小力。バットを振る力だ。来た球に対して、しっかり振り抜ける力」


「一つはやはり、タイミングだ。いま、この選手をこのポジションに入れれば、チームの中でピタッとはまる、そういうタイミングで動かしてやれば、その選手だって、より一層意欲的に取り組めるだろう」


「おれら最高責任者の仕事は、伸び悩んでいる選手にきっかけを与えてやることだ。大きく飛び立つきっっけをね。選手が迷っているときに、ポンと背中を押してやる。これが簡単なようで、なかなか難しくくてなあ」


その他、「ぼくはまだ死ぬほど野球をやっていないー13年目で開幕スタメンをつかむまでー森野将彦」「自分から人事異動を直訴したんですードラフト外投手から史上最多出場遊撃手へー石井琢朗など。確かに第一次長嶋ジャイアンツの高田繁のレフトからサードへのコンバートは今でも強烈な印象が残っているよね。オススメです。(・ω<)