「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「QED 百人一首の呪(しゅ)」(高田崇史)

今年もあと10日余り、お正月ももうすぐということで読んだのがこの本。「百人一首カルタのコレクターとして有名な、会社社長・真榊大陸が自宅で惨殺された。一枚の札を握りしめて…。関係者は皆アリバイがあり、事件は一見、不可 能犯罪かと思われた。だが、博覧強記の薬剤師・桑原崇が百人一首に仕掛けられた謎を解いたとき、戦慄の真相が明らかに!?第9回メフィスト賞受賞作

なるほど!百人一首ってネーミングがそもそも不思議だよね〜。「十人十色」という言葉もあるから、「百人百首」だよね〜!そのエッセンスを紹介しよう。


・しかし百人一首における最も大きな謎は『余りにも駄作が多い』ということだろうな。その上、選ばれている歌人も非常に偏っている。古今の百人の歌人の中に当然入ってしかるべきだがなぜか選ばれていない人々は、大伴旅人山上憶良額田王、源順(みなもとのしたごう)、小大君(こおおぎみ)、花山院…などなど大勢いる。ーでは、それならば彼らを入れる代わりに誰を外すのかと尋ねられれば,それは個人の趣味に任せるしかないと思うがね。


百人一首は、あの稀代の天才歌人藤原定家の晩年の大仕事だった。では果たして百人一首とは、それ程までに重要な歌集なのか?もともとは『小倉山荘色紙和歌』と呼ばれていた。小倉山荘とうのは定家の山荘の名前だ。そこの麩に飾ってあった、いわゆる『障子歌』だったのではないかと言われている。それを誰かが整理して清書した時に『百人一首』と名づけたのだろう、とね。


・それよりも重要なのは、百人一首と似た歌集がもう一つあるということだ。昭和26年に発見された『百人秀歌』だ。こちらは定家が自ら選んだ歌集だということは、いまでは殆ど実証済みだ。この歌集は正確には『百人秀歌嵯峨山荘色紙形京極黄門撰』という名だ。京極黄門といういのは、京極中納言藤原定家のことだ。そしてこの『百人秀歌』と『百人一首』の殆どの歌が同一なのだ。しかしなぜか次の点が違う。まず『百人秀歌』では『百人一首』の巻末を飾る後鳥羽院と順徳院の歌が入っていない。そしてその代わりに、次の三首が入っている。〜略〜


・そうだ、百一首あるんだ。『百人秀歌』は。百人秀歌なのに。おかしいといえば、百人一首』という名前自体がおなしい。『百人百首』ならば解るが


なるほど〜!そうだったのかあ…。和歌の天才・藤原定家百人一首にこめた謎とは!?面白くてゾクゾクするよ。オススメです。(・∀・)