「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「最後の桜 妻・大庭みな子との日々」(大庭利雄)

現代文学に古代の詩情と物語を豊かに呼び込んだという芥川賞作家・大庭みな子。恥ずかしながら私はまだ一冊も読んだことはない。この本は、58年共に過ごした夫が、私生活と創作の真相を初めて明かした本だ。

「妻・大庭みな子と過ごした58年。濃密な夫婦の歳月を描く感動作。妻が半身不随となった晩年の10年は献身的な介護で支え、夫婦一心同体となり執筆活動を続けた。夫から亡き妻へ、永遠の恋文」
そのエッセンスを紹介しよう。


出逢うまではまったく見ず知らずの赤の他人、そして出会っても互いに惹かれなければそのまま赤の他人で分かれてしまったかもしれない二人が、かくも強固に結ばれたのは男と女の出会いの不思議でもある。


民法によれば、父母、子供は一親等、兄弟姉妹は二親等、夫婦はいわばゼロ親等ということになる。だが、このゼロとは一心同体だからゼロなのか、まったくの他人だからゼロなのかは、それぞれに夫婦の在り方によって異なるようである。私たち夫婦の間のゼロ親等というのは、一心同体のゼロであったことは確信している。


・私たちのことろ「奇妙な夫婦」と自称しているが、わが夫婦の間には一方的な不平等条約が結ばれていたということである。曰く「みな子の男付き合いは自由だが、利雄が他の女に手を出したら刺殺されても文句は言わぬ」というみな子の身勝手な要求である。


結局は夫婦の共同作品だったということになるかもしれないが、文学の世界だけでなく政治や科学の分野でもよき配偶者の存在はそれぞれの力を足したものよりもはるかに大きな力となり得るようだ。男女が共生を志すならば、一方的に相手にサービスを要求するのではなく、どの分野でも男でも女の相乗効果の力を利用するに越したことはない。


・みな子の求めに応じて青酸カリを渡したり、睡眠薬を大量に持たせたり、あるいはアラスカでは待望の婦人用の拳銃を買い与えたり、よもや口癖のようにしていた「死にたい」を実行することはあるまいと、私もずいぶんみな子のことを見くびっていた配偶者だった。


みな子は一緒に暮らしている私が恐ろしくなるほど鋭く、人の心を見抜く抜群の才があったようだ。「貴方、あの女の人に気があるでしょう」「貴方は今マージャンに行きたいと思っているでしょう」「今鮭釣りのこと考えているのね」などと異性関係以外のことでもみな子の直感力は感度が高すぎて、連れ合いは疲れてしまうことも多かった。


・とにかく共に白髪の生えるまでの中を作ろうと思い、男女ともども真の共生を望むのならば、共に相手の奴隷になってもよい気になれるかどうかである。相手を自分の奴隷にしようと思う結びつきと、相手の奴隷になってもよいと思う二人の結び付きにはそれぞれに悲劇と喜劇が待っている。


凄いなあ。夫婦って、男と女の結び付きって。オススメです。(・∀・)