「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「20世紀完全版 長嶋茂雄大事典」(織田淳太郎編)

  


20世紀完全版 長嶋茂雄大事典 (新潮OH!文庫)


永遠のヒーロー、ジャイアンツの「ミスター」こと、長嶋茂雄終身名誉監督国民栄誉賞も受賞したし、「愛されキャラ」の第一人者だよね〜。(・∀・)


さて、この本。長嶋茂雄のすべてを網羅している事典なのだ。読み応えあるよ〜!そのエッセンスを紹介しよう。


本著は実用性の希薄な世にも珍しい事典である。資料としては調べづらく、文献とするには統一性に欠け、かといって読物とするには、ストーリーが他の項目に飛び火しすぎている。突如、酔った頭が閃いた。いや、酔いどれ状態にあったからこそ、大胆な発想が生まれたのかもしれない。本邦初の長嶋茂雄の事典を作ったらどうだろうか。彼のエピソードやプレーヤーとしての栄光の足跡を通じて、プロ野球の全体像が見えてくる事典ができないだろうか。ひとりの人間の人生の足跡が、一冊の事典になる。私の知る限り、スポーツ界では前例のない試みだった。


【合図】

走ることに関しては、異常なほどの周年を持っていた。結果、二塁フライで三塁からタッチアップ生還(昭和33年6月21日大洋戦)という前代未聞の走塁をしたり、はたまた、勢い余って前の走者を追い越してアウトになる(35年8月21日国鉄線)チョンボを犯したりもしている。


【朝駆け取材】

ミスターは入団当時、東京・上北沢に住んでいたが、記者たちの朝駆け取材に応ずることも少なくなかった。ある日、新聞社のカメラマンが朝方まで酒を飲んで、その勢いでミスターの家に押しかけた。それでも、ミスターは嫌な顔ひとつみせずにきちんと応対。まず、カメラマンの酒を抜かせるために風呂を沸かし、さらに朝食まで用意すると、こう言ったという。「取材はすっきりしてからにしよう」


安打製造機

現役17年間においてミスターは10回の最多安打、安打王に輝いている。2位は川上哲治の6回。「打撃の神様」もかなわなかった。開幕戦本塁打は10本、世界のホームランキング王貞治は6本塁打


【一心同体】

昭和50年、監督として屈辱のシーズン(リーグ最下位)を終えた夜。ミスターが田園調布に帰宅すると、亜希子婦人が三つ指をついて、こう謝った。「私の力が足りなくて、本当にごめんなさい」さすがのミスターもこれにはジーンときたようで、「あのときほど夫婦が一心同体と感じたことはなかった」とのちに告白している


【ウェルカム】

武田鉄矢がある番組のレポーターとしてミスターの自宅を訪問。笑顔で出迎えたミスターは開口一番「ウェルカムで〜す」


【外車】

現役時代、ベロビーチキャンプに赴いたときのこと。行き交う車を見て、ミスター「外車がやたらに多いなあ」


【靴】

ミスターの気前のよさは球界随一。あるとき、長嶋邸を訪問した人物が「古くなった靴があったらほしい」と頼んだ。何を思ったかミスターは玄関にある10足近くの自分の靴を片っ端から袋に詰め、相手に手渡してしまった。ところが、その人物と外食に出かける段になって自分が履く肝心の靴がない。そのことに気づいたミスター、申し訳なさそうに言ったという。「やっぱり、一足だけ返してもらえませんか」


サンマリンスタジアム

宮崎県の新球場の愛称は「サンマリンスタジアム宮崎」約7000通の応募の中から決定した。サンマリンスタジアムと記したものは32通あったというが、ミスターも同じ名称で応募していたというから面白い。ミスター、新球場の名付け親になってしまった。


【15年に1度の選手】

「清原は10年に1度しか出ない選手」と絶賛したこともあるが、そのときはこう付け足している。「俺は15年に1度の選手だけど」


【スト……ボール!】

現役時代のミスターはハーフスイングが多かった。しかもハーフスイングにおけるアピールの仕方が実に絵になっていた。前身を躍動させ、ゼスチャー入りの「ノースイング」を球審に訴えかけるのである。「スト……」と言いかけ、「ボール」と思わずコールする球審が相次いだ。


【総理大臣】

鳴り物入りで巨人に入団したミスターが、初めてキャンプに参加したのは、昭和33年2月16日。明石キャンプ開始前日。この日、急行「さつま」の二等寝台から明石駅に降り立ったミスターは、駅前広場に集まった500人のファンの歓迎を受けた。が、自分の人気を過小評価していたのか、思わずこう口走っている。「凄い人だな。総理大臣でも来てるのかな?」


【ダイナミック】

ミスターのプレーは、スピードとダイナミックが売り物だったが、あるテレビ局の対談に出演したミスター。対談者から「あのダイナミックさはいったいどこからきてるんでしょうか?」と質問され、「英語ですからアメリカですね」


【田園調布】

東急東横線田園調布駅から徒歩で約3分ほどの一等地にミスターの家がある。敷地は約200坪。公園並みの広い南側の庭には、二宮金次郎銅像がある。


【長嶋シゲル】

ミスターが某ラジオ局にゲストとして登場したときのこと。「こんにちは。私、ジャイアンツの長嶋シゲルです」


【何でも感謝】


ミスターほど打たれ強い、というか、周囲のバッシングを飄々と受け流す人もいない。第一次政権下のこと、連敗続きの長嶋巨人に怒り沸騰のファンが、スタンドから「長嶋、バカヤロー!やめちまえ」と痛烈なヤジ。これを聞いたミスター、感慨深げに「あの人、俺のこと心配してくれてるんだなあ」


【ニュー・プレー】

長嶋造語。キャンプでのチーム・プレー中に「よーし!今のニュー・プレーいいぞ」と叫んだことがある。


【ブック的】

ある取材人がミスターに「どういう本をお読みになるのですか?」と質問したときのこと。返ってきたコメントは「う〜ん。いわゆるブック的なものですね」だったとか。


【ヘイ、ボス!】

長嶋造語といえるかどうかはわからない。しかし、新人のミスターは、打撃の神様と呼ばれ、しかも大先輩でもある川上哲治(当時は一塁手)を迂闊にも「ヘイ、ボス!」と呼んでしまったことがあったという。


【宿帳】

現役時代のミスターは、遠征などにおける宿帳の職業欄に、こうペンを走らせたとか長嶋茂雄ー。


【夕食】

ミスターは亜希子夫人と結婚して以来、少なくとも監督を解任されるまで、自宅で夕食をとったのは年に数回しかないらしい。「男は家で夕食をとるものではない」という妙な哲学があったとか。


やっぱり長嶋さんは無敵だねえ〜。超オススメです。(・∀・)


  


20世紀完全版 長嶋茂雄大事典 (新潮OH!文庫)