「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「台湾人と日本精神 日本人よ胸を張りなさい」(蔡焜燦)

いや〜、良かったねえ。2020年東京オリンピック開催が決まったね〜!良かった、良かった!感動だねえ。(・∀・)


さて、またまた良い本に出会いました。「近年、台湾では国民党主導による反日教育が改められ、日本統治時代を正しく評価する歴史教育がスタートした。ところが、日本では自虐史観という“虚構” が、日本人から「自信」と「誇り」を奪ってしまった。本書では、「台湾には日本が今こそ学ぶべき“正しい日本史”がある」とする筆者が、「日本人よ、自信 と誇りを取り戻せ」と訴える。昨年7月に日本で単行本化されたものの、小林よしのり著『台湾論』を巡る一連の騒動の中で、販売中止に追い込まれた「問題の書」を緊急文庫化!そのエッセンスを紹介しよう。


・1895年6月17日、この日をもって日本の台湾統治が始まった。もとより「植民地」という言葉は、戦後になって出てきたものだと私は理解している。私が公学校(小学校)時代に習ったことは、台湾は、樺太、朝鮮と同様に日本の「領土」であり、台湾が植民地であるなどという話を耳にした記憶がない。少なくとも。新しい領土を獲得することになった当時の日本政府が、欧米の植民地経営の特徴であった一方的な搾取を前提としていなかったことだけは事実である。


・第三代台湾総督・乃木希典などは、日本の台湾領有を、「乞食が馬をもらったようなものだ」と語っていた。これは、馬も養えないような貧しい日本がどうして台湾など統治できようか、という意味で、当時の日本の国力で台湾を統治することは、決して容易なことではなかったことがうかがえる。


・日本政府は一流の人材を次々と台湾へ送り込み、終戦までの50年間に延べ19人の台湾総督がその任に就いた。そして彼らは台湾を近代化するため懸命に取り組んだのである。台北の鉄筋コンクリート製下水道施設などは、東京市(当時)よりも早く整備され、劣悪な衛生状態を改善することによって伝染病が一掃された。そして、あらゆる身分の人が教育を受けられるよう、貧しい家庭には金を与えてまで就学が奨励された事実を忘れてはならない。


・台湾では、いまでも「日本精神」=リップンチェンシンという言葉が「勤勉で正直で約束を守る」という褒め言葉として使われている。まさしくそれは日本統治時代の教育の成果である。


昭和10年の台湾大地震の美談。当時、公学校三年生の男子生徒が倒壊した建物の下敷きになった。彼は、虫の息になりながらも、駆けつけてきた先生を見上げて国家君が代を歌い、そして静かに息を引き取ったのである。この少年はその後、君が代少年」と呼ばれ、学校には少年の銅像が建てられた。これは実話であって、フィクションではない。もし、我々台湾人が、日本教育を強制されたと捉えていたならば、どうして今わの際に国家「君が代」など歌えようか。現代の日本人は、日本がかつて植民地で皇民化教育を行っていたと非難するが、それは「内地でやっていた教育を、同じ日本領土である台湾でもやっていた」だけのことだと私は納得している。これが平衡感覚のある歴史観ではないだろうか。


台湾人と中国人の決定的な違いは何か。「公」という観念の有無だ、と思う。日本の教育は、台湾人に他の近代国家と伍して恥じない最高水準の道徳を身につけさせてくれた。日本統治の道徳教育こそが、台湾人と中国人を精神的に分離させたのである。日本統治時代「公」という観念は徹底的に教えこまれた。それは秩序ある法治社会を築き上げるために必要不可欠な倫理だった。


その他、「台湾の恩人・司馬遼太郎」「台湾近代化の礎を築いた日本統治時代」「台湾近代化の父・後藤新平」「嘉南平野を緑の大地に変えた八田與一」「二つの祖国ー戦争そして終戦」「祖国の裏切り」「日本人よ胸を張りなさい」など。


もっともっと歴史を知らなければねえ。感動の一冊!オススメです。(・∀・)