酒場のギター弾き 小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「生活者の日本統治時代 なぜ「よき関係」のあったことを語らないの


生活者の日本統治時代―なぜ「よき関係」のあったことを語らないのか


日本人に帰化した呉善花氏。日韓の架け橋になってほしいなあ。この事実を、真実を知ってほしい。


日韓15人の日常世界から見えてくるもの。日本統治時代の朝鮮半島で、朝鮮人と日本人との間にどんな生活模様が展開されていたのか。その追求から、これまでの政治的な議論ではけっして見えてこなかった「もう一つの植民地問題」を大きくクローズアップする」そのエッセンスを紹介しよう。


・おそまきながら私が日本でようやく知ったことは、日本が韓国を統治下に置いたのは、当時の日本からは「韓国は自力で独立を確保し得る状態にない」と判断されたからだということである。しかし韓国では、日本は韓国から収奪して自己の利益を得ようとの独善的な欲望をもって侵略し、実力をもって韓国の独立を妨げたと理解している。


もし日本人が「侵略的かつ野蛮な民族的資質」をもつ人たちだとしたら、日本統治時代の韓国人は、それこそ言語を絶する悲惨な体験の数々をいやというほどもっているにちがいない。ところが、日本統治時代の体験をもつ私の母をはじめとする上の世代の者たちに、日本人の悪口をいう者がそれほど多くはなく、かえってよい印象を語る者が多数いるのである。これをいったいどう考えればよいのだろうか。


・大多数の朝鮮人の中に少人数の日本人が生活していました。ですから私たちはいつも小さな気持ちでいました。実際、朝鮮人の町の中で日本人だと威張って勝手な振る舞いをすることなど、とうていできることではなかったですよ。とくに田舎の人たちは連帯意識が強いですから、もし日本人がいじめたりすれば、必ず集団で立ち向かって来ると、そういう生活環境でしたから、とてもそんなことはできません。強制的に連れていかれる娘を見ながら、そのままほっておくような卑劣な朝鮮人がいたとはけっして思えません。


・ですからねえ、日本人が朝鮮人を苦しめたという話は終戦後に聞いて、「いったいだれが、どこで、彼らをそんなに苦しめたのか」と不思議でならないんです。そんなに苦しめられたならば、なぜ反発が見られなかったのかと思います。もし、朝鮮人たちがそんなに日本人への反発心をもっていたなら、あれだけたくさんの朝鮮の青年たちが、自ら志願して特攻隊に入ることがあったのでしょうか。


・悪い日本人もいたかもしれませんが、私の場合は運よくそんな人たちとはいっさい縁がありませんでした。日本人がとくに好きとか嫌いだとかいうことではなく、私のまわりにいた日本人はほんとうにいい人たちが多かった、ということです。


強制連行、創氏改名の強制、神社参拝の強制、いずれの「強制」も、日韓両者の話を総合してみると、身の危険が迫り来るような弾圧下に行われたのではなかったことがよくわかった。統治側が法令を発し、多くの韓国人がとくに強い抵抗姿勢をみせることなく、ともかくも従ったのである。それが現実の姿だった。


「文化・習慣の違いから見られる誤解」は、その通り!内政干渉をして欲しくない。オススメです。( ◠‿◠ )



生活者の日本統治時代―なぜ「よき関係」のあったことを語らないのか