「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「遊ぶ」が勝ち『ホモ・ルーデンス』で君も翔べ!(為末大)

いや〜たった今、世界陸上見てたけどスゴかったねえ。男子400メートルリレー!ボルト、三冠達成だねえ。(・∀・)スペシャルコメンテーターの「侍ハードラー」為末大氏。「勝ち切る選手は、いつも勝負を遊んでいる」そのエッセンスを紹介しよう。


・僕は二度。銅メダルを獲った。2001年と2005年の世界陸上で、競技は400メートルハードル。日本人として初めての快挙。僕は、世界一を争うレースの中で、勝負に挑んできた。

長い間、「勝てなければ走る意味がない」と本気で信じていた。「結果を出せるからこそ走る意味がある」と、当然のように考えていた。20代半ば、走っても走ってもハードルで良い結果が得られない、という残酷な時期が訪れた。でもなぜか走ることをやめなかった。やってもやっても結果に結びつかないにもかかわらず、走ろうとしている自分がいた。いったいなぜなのか。どうして、陸上を続けているのか。自問自答した。

走ろうとしている自分、走りたいんだ、と思っている自分。腹の底から湧いてくる喜び。嬉しいという感覚。ワクワクする感じ。結果が出せるから走るんじゃない。ただ楽しいから走るんだ。世界の見え方が転換した。

遊びとは、「はっきり定められた時間、空間の範囲内で行われる自発的な行為もしくは活動である。それは自発的に受け入れた規則に従っている」(73頁)ホモ・ルーデンス』(ホイジンガという本にそう書いてあった。そうだ、スポーツと遊びは似ている


遊びについて考える事は、僕にとって、生きることについて考えることと同じだ。いつも傍らに「楽しい」感覚を持っていたい。だから、遊ぶ心を忘れたくない。


「演じる」は、英語で言えば、「PLAY」だ。「遊ぶ」もPLAYだし、「協議する」「音楽を演奏する」もPLAY、英語で陸上競技場は、play ground。「遊び場」と一緒だ。僕らが考えているスポーツ競技も、本質的なところで「PLAY」に通じている要素がたくさんあるように思う。


「緊張の要素こそ、遊びのなかではとくに重要な役割を演じている。緊張、それは不確実ということ、やってみないことにはわからない、ということである」(36頁)

〜獲れるかどうかわからない不確実な緊張があるからこそ、メダルを獲りに行くのは面白い「遊び」なのだ。


「文化は遊びとして始まるのでもなく、遊びから始まるのでもない。遊びのなかに始まるのだ」ホイジンガ


・人間のありようそのものが問われる今、僕は遊びの領域にこそ人間らしいものを見ている。私たちは本来的に、何かを表現したい生き物で、そしてまた誰かの表現を受け取ることで、新たな表現が生まれる。人間とは遊びたいもので、そして遊ぶことにより、人間はより人間らしくなるのだと僕は思っている。


いいなあ。金メダル獲った選手って、笑ってるもんね。「遊び感」って大切だよね。オススメです。(・∀・)