「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『心に響く小さな5つの物語』(藤尾秀昭)

心に響く小さな5つの物語 (小さな人生論シリーズ)

心に響く小さな5つの物語 (小さな人生論シリーズ)

またまた感動的な本を読みました。(T_T) 少年と小学校担任教師との感動エピソード「第5話 縁を生かす」はすでに紹介したよね。


MESSAGE〜『縁を生かす』(月刊致知
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20101210


そして「第1話 夢を実現する」は、あのイチロー選手の有名な作文はあまりにも有名だよね。


さあ、今回は、その中で最も感動したエピソードを紹介しよう。


【第二話 喜怒哀楽の人間学


少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた

少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。
殊に母親の溺愛は
近所の物笑いの種になるほどだった。


その母が姿を消した。
庭に造られた粗末な離れ。
そこに籠もったのである。
結核を病んだのだった。


近寄るなと周りは注意したが、
母恋しさに少年は
離れに近寄らずにはいられなかった。


しかし母親は一変していた。
少年を見ると、ありったけの罵声を浴びた。
コップ、お盆、手鏡と手当り次第に投げつける。


青ざめた顔。
長く乱れた髪。
荒れ狂う姿は鬼だった。


少年は次第に母を憎悪するようになった。

悲しみに彩られた憎悪だった。
少年6歳の誕生日に母は逝った。


「お母さんにお花を」
と勧める家政婦のオバサンに、
少年は全身で逆らい
決して柩の中を見ようとはしなかった。


父は再婚した。
少年は新しい母に愛されようとした。
だが、だめだった。
父と義母の間に子どもが生まれ、
少年はのけ者になる。


少年が9歳になって程なく、父が亡くなった。
やはり結核だった。
そのころから少年の家出が始まる。


公園やお寺が寝場所だった。
公衆電話のボックスで
体を二つ折りにして寝たこともある。
そのたびに警察に保護された。
何度目かの家出の時、
義母は父が残したものを処分し、家をたたんで蒸発した。
それからの施設を転々とするようになる。


13歳の時だった。
少年は知多半島の少年院にいた。
もういっぱしの「札付き」だった。


ある日、少年に奇蹟の面会者が現れた。
泣いて少年に柩の中の母を見せようとした
あの家政婦のオバサンだった。


オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。
死の床で母はオバサンに言ったのだ。



「私はまもなく死にます。あの子は母を失うのです。
幼い子が母と別れて悲しむのは、
優しく愛された記憶があるからです。
憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。
あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、
死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。
そうした方があの子は幸せになれるのです」



少年は話を聞いて呆然とした。
自分はこんなに愛されていたのか。
涙がとめどもなくこぼれ落ちた。
札付きが立ち直ったのはそれからである。

作家・西村滋さんの少年期の話である。


喜怒哀楽に満ちているのが人生である。
喜怒哀楽に彩られたことが次々に起こるのが人生である。
だが、その表面だけを掬い取り、
手放しで受け止めてはなるまい。
喜怒哀楽を向こうにあるものに思いを馳せつつ、
人生を歩みたいものである。
その時、人生は一層の深みを増すだろう。
われわれが人間学を学ぶ所以もそこにある。


中江藤樹の言葉がある。


「順境に居ても休んじ、
逆境に居ても安んじ
常に担蕩々として苦しめる処なり。
これを真楽というなり。
萬の苦を離れてこの真楽を得るを学問のめあてとす」