「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』(溝口優司)

アフリカで誕生した人類が日本人になるまで (SB新書)

アフリカで誕生した人類が日本人になるまで (SB新書)

私の両親も、祖父母も新潟県十日町市松之山出身。先祖をたどっていくと大陸が一つだった頃に行き着いて、モンゴルから来ているのかも!?だから顔がモンゴル系でしょ!(笑)朝青龍とか白鵬を見ると、他人とは思えない。(笑)


さて、私たち日本人のルーツはナント、700万年前、アフリカで誕生した人類なんだって!新年になったことだし、「日本人誕生の謎」を探る旅へ出かけません?!そのエッセンスを紹介しましょう。


・私たち日本人の姿形は、ヨーロッパ人と異なっているのでしょうか?なぜ同じではないのでしょうか?もしも、私たちホモ・サピエンスが、誕生した時のままの姿であったとすれば、私たちの外見はアフリカ人であるはずです。なぜならば、ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したことは、化石的な証拠からもほぼ確実だからです。ところが、私たちの姿形は、アフリカ人とは異なっています。アフリカで長い時間をかけて猿人から進化し、ホモ・サピエンスになった人類は、アフリカから世界各地へただ移住しただけではなく、その土地土地の環境に適応していきました。そして、その結果、必然的にヨーロッパではヨーロッパ人に、アジアではアジア人になったのです。では、日本人はいったいどのようにして日本人になったのでしょうか?私たちはなぜ、このような姿形をしているのでしょうか?現代の人類と化石人類の姿形の特徴から、日本人のルーツを探り、その謎を解き明かそうと試みたのが本書です。


・私たちの祖先は、1000万〜700万年前のいつの頃か、チンパンジーの祖先と分岐して猿人となり、人類としての進化の道を歩み出しました。いったいなぜ、私たちの祖先だけが、類人猿から猿人へと進化したのでしょうか?その鍵は、直立二足歩行にあると考えられています。ではなぜ、直立二足歩行を始めたのか?そもそも私たちの祖先は、人類になる前は、チンパンジーなどの類人猿と同様に、樹上生活を営んでいたと考えられます。ところが、地球環境の変化によって森林が縮小したことや、それに伴って食物が減少したこと、あるいはほかの生物との競合が激しくなり、地上に降りたと考えられます。直立したことで人類は手の自由を獲得し、複雑な道具を作れるようになり、その結果として発達した大きな脳を獲得し、言語も獲得したからです。


直立歩行によってもたらされた手の自由は、顔も変えました。それまで口に獲物を加えて運んだり、口で何かを押さえたりと、口を手や道具の代わりに使っていました。それが手が自由になり道具を使えるようになり、石器や火を使えるようになると、固いものを石器でつぶしたり、火を通して柔らかくしたりしてから食べるようになります。それによって、顎や歯が次第に小さく華奢になっていったのです。


・私たち日本人の遠い祖先であり、最初の人類でもある猿人は、1000万〜700万年前のいつか、アフリカで誕生したとされています。事実として200万年前よりも古い人類の化石は、アフリカでしか発見されていないのです。さらに遺伝子の研究からも、私たちホモ・サピエンスの最も近いのは、アフリカに棲むチンパンジーだということがわかっています。


・私たちホモ・サピエンスは、類人猿などに比べると、かなり鼻が高いという特徴がありますが、なぜ鼻が高くなったのかおわかりでしょうか?実は、鼻が高くなったのではなく、人類の頭が大きく丸く、顎と歯は小さく華奢になった結果、鼻が目立つようになっただけなのです。つまり、鼻が変わらす顎が奥に引っ込んだために、鼻が高くなったように見えますが、私たちの鼻の角度そのものは、類人猿とさほど変わらないのです。


・アフリカで誕生したホモ・サピエンスは、10万年前頃までにアフリカを出て、中東に達したとされています。おそらくそこでネアンデルタール人と交わり、その後、世界各地に拡散していったのです。私たちホモ・サピエンスは、その土地の環境に適応しながら、熱帯雨林や高山や北極地方にまで、棲息地域を広げていきました。その過程で、肌や髪の色、体の大きさ、顔つきなどが変化し、現在のように多様な外見が生じたのです。


「日本列島にホモ・サピエンスはいつ頃やってきたのか」、「縄文人弥生人の違い」などは、実に感慨深いね〜。おススメです。(^^♪