「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『パ・リーグを生きた男 悲運の闘将 西本幸雄』

パ・リーグを生きた男 悲運の闘将・西本幸雄

パ・リーグを生きた男 悲運の闘将・西本幸雄

あっという間に三が日も過ぎて、四日目だね。(・。・) しかし第88回箱根駅伝はよかったね〜!我が母校、明治大学は古豪復活!エース鎧坂らの活躍で三位!頑張ったね〜!(^^♪2012年はロンドンオリンピックもあることだし、スポーツは盛り上がるよね〜!


さて昨年、お亡くなりになった名監督・西本幸雄氏。西本の監督としての通算成績は2665試合1384勝1163敗118分、勝率5割4分3厘。大毎オリオンズで一度、阪急ブレーブスで五度、近鉄バファローズで二度、合計八度リーグ優勝を飾った。監督としての通算勝利数は、歴代五位の記録だ。しかし、日本一には一度もなっていない「悲運の闘将」だ。今日は、氏を偲んでこの本を紹介しよう。



・元日ハム監督の梨田昌孝はいう。近鉄の歴史は55年で終わったけど、西本さんは2回も優勝させた。もし西本幸雄という監督がいなかったら、もうちょっと早く身売りしていたんじゃないかなという気もする。近鉄の歴史が55年まで伸びたのは西本さんのおかげでしょうね。日本一の栄冠は勝ち取れなかったけど、やっぱりすごい人だと思う。

阪急時代の西本さんは、とにかく恐ろしい人というイメージでしたね。笑顔なんて見たことない。いつも、苦虫を噛み潰したような、難しい表情をされてました。少々のことでは動じないような、そんな印象がありましたね」


・阪急は遊びが好きなチームで、プロとしての自覚に欠けていた。「夜の勇者」という名前がついていたくらいや。だから、管理というほどじゃないけど、かなり制約をつけたんだよ。ところが、人間ちゅうものは楽しみを取り上げられると、いろいろ文句を言い始める。選手との間で、かなり火花が散ったんだよね。(西本率いる阪急は)投げても、打ってもダメ。そんなチームだから練習するだけでへばってしまうんだよ。練習も満足にできない。これはダメだなと思ったね。生意気だとか、俺の言うことを聞かないというのでもないし、練習をさぼろうとしているわけじゃない。2時間ほど練習したら、もう体力が続かない。そんな状態の選手が多かったね。だから、体作りから始めないといかんと思った。下位に低迷しとって、体力作りからはじめなあかんていうことは、考えるだけバカみたいだった。阪急の選手にとって一番欠けているのは体力だったんだよね。野球の弱いチームは体力もない


・トレーニングの成果はすぐに出た。打球の飛距離が全然違うんだよ。1年目のキャンプでは打球がなかなか飛ばなかったのに、1年後にはスタンドにポンポン入るんだから。俺もびっくりしたけれども、選手の方がもっと驚いてたね。それで。体力作りのトレーニングが軌道に乗り始めた。


・阪急の四番打者、長池徳士はいう。「調子の悪い時、自分が苦しい時には西本さんにずいぶん教えられましたね。技術的にもそうですが、粘りですよね。不調になった時には人間誰でも投げやりになりますよ。そういう時に根気よく毎日毎日教えてくれる。東京に遠征に行ったら、朝10時くらいからずーっと練習ですよ。夏の暑い時に。そういう根気というか辛抱というものを植え付けられましたね。僕だけじゃなくて、当時の主力選手みんなを、自分が先頭にたって教えていました。だから、精神的にも非常にタフな選手がつくられたんだと思います。」


・歴代七位の284勝の山田久志はいう。「練習量はとにかく多かった。20年間プロ野球の世界で現役の世界でやりましたけど、西本監督時代の自主トレとキャンプの練習量は、それ以降経験したことはないですね。まずピッチャーは走れ、投げろ、それしかない。とにかく走る。やることなかったら走れ、と言われる。時間も長いし、量も多い。キャンプなんか毎日くたくたになるまでやってましたね。球数もかなり投げました。だから練習が自信になってくる。俺たちはこれだけ練習してるんだと。ベテランも若手もまったく同じ練習メニューです。阪急からいいピッチャーが育つという伝統を作ったのは、西本さんじゃないですか


近鉄は万年Bクラスで、5位になればいいというチーム。選手、コーチに野球を教え込んで、数年後にはトップになるチームにするわけですから。すごいことですよ。何人も選手を育て上げるのは、根気と見る目がなかったらできない、選手を作り上げるっていうのは並大抵の苦労ではありません。見る目がちょっとでも狂ったら選手はついてこないから。練習をガンガンやらせるのは簡単なんですよ。でも結果が伴わなきゃいけない。この人の言う通りにやっていれば勝てるようになるんだと思わせないと。選手がそう信じれば、自分がもっとやろう、もっとやろうとなる。選手にそう思わせるという点では、歴代の監督でナンバーワンでしょうね。


・阪急で五度のリーグ優勝を成し遂げた西本には、確固たる信念があった。選手に求めるピッチング、バッティングの型があった。体全体を使って投げる。体全体を使って打つ。このことを覚えるために、並はずれる鍛錬が必要だった。「プロ野球選手の寿命は短いんだから、2,3年でなんとかメドが立つようにしないといかん。指導する人間がいいかげんなことを言ったら、悪い癖がすぐにつく。近鉄では、金を使わずに成果を上げないといけなかった。そんなに時間もない」練習中でも試合のときでも、西本は選手たちを緩めることがなかった。絶対に妥協は許さない。ユニフォームを着ている限り、気を抜いてはいけない。これは自分への戒めでもあり、選手への絶対的な命令だった。


まず戦えるだけの体力をつける。技量を授け、最後に心を磨く。「灰色のチーム」と言われた阪急でも、お荷物球団の近鉄でも同じ方法を貫いた。


・確かに戦力は充実したとしても、チーム作りというのは、核になる選手がおればいいかと言うと、そんなことはない。人間ちゅうのは、年もとる。心の動きもある。一年経って成長するヤツもおれば、落ちるヤツもいる。そういうことを考えると、これで安泰だと手を抜いたら、三年先、四年先には瓦解するんだよ。人間の集合体というもんは、心をひとつにして固まれば強いもんだ。しかし、それが崩れることもある。崩れる方が早いんだよ。常に、志を新たにして取り組まないといかん。楽に楽に行けば崩れるんだから。作るのは時間がかかるよ。集まってきた選手に対して、ちゃんと旗を振れば同じ方向を向くことはできるわけや。モノを言って納得させられる人格というか、怖さという威厳というものを備えている人がいなければならん。そういう資質を持っている人ならいいチームを作っていける。


・317勝をあげた鈴木啓示が、第14代監督に就任したが3年目のシーズン途中で成績不振を理由にユニフォームを脱いだ。「若い選手に一回言うてもわからんなら2回言う。それでもダメなら3回、それでもわからんのか、よし4回言うてもわからんなら5回…でもそこでもうあかん、とサジを投げてしまったんです。西本さんはそっぽ向いた私に10回も20回でも同じことを言い続けてくれたのに、その偉大さを私自身が一番理解できていたはずなのにねえ…。」 「私から見たら、もっと努力したら20勝できる素質のある投手がおるんですわ。でも、ギリギリまで自分を追い込まないからそのレベルまで達しない。なんとかふたケタ勝って高い年棒をもらって満足している。走り込み、投げ込み、打ち込み…『込む』ことで筋肉を筋力に変える。スタミナもつくんです。そのことを私は体で知っておったわけですが、なかなか最近の若い選手はできないんですね。自分も監督という仕事を経験して、考えれば考えるほど、いかに西本さんの熱がすごいか、改めて感じましたよ。周囲は西本さんを『悲運の闘将』といいますが、私からしたら、熱のある人『熱将』ですね。それが一番西本さんに適した表現やと思います」


「なぜ、ウチの選手にあれだけの練習をさせるのか。世の中には必ずしも日の当たる場所で働いている人ばかりではない。たとえ日の当たらないところでも毎日コツコツと努力している人も多い。その方々のためにも、努力していれば、いつかはきっと日が当たるんだ、そのことを証明したい」


山田久志はいう。「僕は、西本さんに対するヤジを聞いたことがない。阪急時代からそうでしたよ。普通、負けがこんだりしたら、監督はひどいことを言われるもんですけど、西本さんに関しては記憶がない。やっぱり人間性でしょうね。西本さんは、俺は監督だ!なんてふんぞり返る人じゃない。選手にいい思いをしてほりい、ファンにいい思いをさせたい、そんな気持ちが根っこにある。だから『西本監督に勝ってほしい』『西本監督を応援しよう』となるんですよ。僕は西本さんが悲運だなんて思っていない。リーグチャンピオンを獲るっていうことは大変なことだから。西本さんのすごさは、選手とチームをイチから作り上げたことですよ。西本さんは純粋に野球のことを考えていた監督じゃないですか。選手を育てチームを作り上げる。力と力できちっと勝負して、それで勝てれば最高だという考えですよね」


全盛時の阪急ブレーブスはホント強かったもんね。今のパ・リーグの隆盛の基礎を作ったのは西本さんだろう。ご冥福をお祈りする。今年もプロ野球は盛り上がるね〜!おススメです。(^^♪