「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「葬式は、要らない」(島田裕巳)

   


葬式は、要らない (幻冬舎新書)


早いもので、父が亡くなって8年。亡くなる前日は五反田で飲んだくれていた。深夜に弟から電話で知らせを聞き、始発で小田原まで帰った。自宅で病床に伏していたものの、突然の死だった。私の祖母と同様、畳の上で亡くなった。素晴らしい死に様であり生き様であった。


私の兄はインドのお坊さんなので(このことを話すと長くなるのでまた別の機会で…)、インドの形式で、葬儀が行わることとなった。これはかねてから父が何かあったらすべて長男である兄にまかせるということだったので。場所は自宅近くの葬儀場を借り、お清めは一切、肉、魚、を使わず、アルコールも出さないというかなり変わった葬儀だった。兄の関係で、世界中のお坊さんが10人以上あつまった。私の関係者も多く出席していただいたが、異口同音で「こんなお葬式ははじめてだ」とけっこう評判がよかったのだ。(このことを話すと長くなるのでまた別の機会で…)


さて、この本はまたオモシロイよ〜!(@_@;) 葬式とは何なのか?とても考えさせられる。一度はちゃんと考えなければならないものだと思う。そのエッセンスを紹介しよう。



葬式が厄介なのは、それが突然に訪れるからである。冠婚葬祭のうち、私たちは結婚式とそうしいの二つを最も重視し、お金もかける。だが、結婚式は十分な時間をかけて準備するのに対して、葬式は準備ための時間が極めて限られる。しかも、結婚式なら、結婚するたびにやれるが、葬式はただ一度の機会しかない。失敗は許されない。いったい私たちにとって、葬式はどんな意味を持つのか。それは今、どう変化しているのか。何が変わり、何が変わっていないのか。そもそも、本当に葬式は必要なものなのか


葬式は贅沢である―これが、本書の基本的な考え方であり、メッセージである。もしかしたら本当は必要ないものなのではないか。議論は最終的に「葬式無用論」に行きつく。日本の葬儀費用は平均231万円、これはイギリスの12万円、韓国の37万円、アメリカの44万円と比べると格段に高い。葬式は決して喜ばしい場ではない。その点で、贅沢をすべき機会ではないはずである。だが現実には葬式に金をかけ贅沢をする。なぜ日本人は贅沢な葬式をあげてきたのか。人の死に莫大な金をかけてきたのか。


・葬式が行われないと、故人と関係があった人たちには死者とのけじめがつかない。生きていた人間を失うことは、家族以外の人間にも大きな出来事で、何らかの形でその死を確認したいという思いが生まれる。そのため葬式をいっさいしないと、せめて焼香だけでもしたいと申し出る人があらわれ、かえって面倒な事態を招くこともある。ただし、葬式を出すことと、葬式に多額の費用をかけることとは直結しない。


「もし、仏教がなかったら?」、「葬式無用論」を唱えた中江兆民白洲次郎、「自然葬」とは?いま増えている「直葬」とは?「世間体が葬式を贅沢にする」、「なぜ死後に戒名を授かるのか」、「檀家という贅沢」、「葬式をしない方法」、「葬式の先にある理想的な死のあり方」など。葬式に金をかけられない時代の画期的な一冊!(^O^)一読をオススメするよ!(^u^)

   


葬式は、要らない (幻冬舎新書)