「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『「かくれんぼ」ができない子どもたち』(杉本厚夫)

「かくれんぼ」ができない子どもたち

「かくれんぼ」ができない子どもたち

東日本大震災、心よりお見舞い申し上げます。ご不明の方々のご無事を心よりお祈り申し上げます。


昭和39年生まれの私の子どもの頃の遊びといったら、「野球」「ドッジボール」「かくれんぼ」、「おにごっこ」「高鬼」、「ろくむし」、「田んぼの田」、「手つなぎ鬼」…などだろうか。(^u^)特に、道具をあまり使わないで出来る遊びをよくやっていた気がする。懐かしいな!広場があったらやってみたいな!


さて、このタイトルを見てちょっとショッキングだったのは私だけだろうか。どうやら最近の子どもたちは「かくれんぼ」が出来ないらしい。そりゃそうだよね。遊びっていったら、テレビゲームなんだろうね。(・_・) 子どもの仕事は遊ぶこと。でもその遊びが変わってしまったのだ。21世紀を読むカギが隠されているような気がする本。そのエッセンスを紹介しよう。


・15年ほど前に「かくれんぼ」ができない子どもたちを前に愕然としたことがある。さらに、驚いたことに、学生に聞いてみると、僕もできません、私もできません、という答えが以外に多かった。そう、「かくれんぼ」ができないのは、それほど特殊なことではないのだ。


・実は、「かくれんぼ」という遊びは、怖い遊びのひとつにあげられる。それは、まず隠れるところが、こんなところには隠れないだろうと思うような危険な場所を選ぶからである。つまり、隠れる場所が危ないという意味で怖い。もうひとつ怖いのは、隠れていて恐る恐る出てきたら、もう「かくれんぼ」は終わっていて、みんな帰ってしまっていたという場合である。つまり、「かくれんぼ」で独りぼっちになってしまうことだ。鬼にも同様のことがいえる。みんな隠れてしまって、独りぼっちになってしまい、泣きだす子もいる。親を見失った「迷い子の経験」、自分一人だけが隔離された「孤独の経験」、社会から追放された「流刑の経験」、たった一人でさまよわなければならない「彷徨の経験」、当てのない「旅の経験」を「かくれんぼ」によって味わうのである。


・今の子どもは、かくれんぼのときに感じるのと同じように、社会における自分の存在の希薄さに気づきはじめている。高校生の体育の跳び箱の時間に、「先生、見て、見て、見て!」と自分が跳ぶところを見ていてほしいという生徒が増えている。もし、見ていてくれなかったら、やる気をなくしてもう跳ばなくなるという。それは、いつでも自分のことを見ていてほしいからだ。それは人間が社会的存在であるということを、子どもたちが本能的に感じ取っているからに他ならない。


・家族を形成するというのは、孤独から逃れるひとつの方法でもあるのだ。その家族関係の距離感は最も近く、子どものときの友だち同士の関係に似ている。ただ、孤独から逃れる方法を身につけるのは、子どものころに「かくれんぼ」のような遊びで十分に孤独感を味わい、そのことに逃げずに向き合って初めて獲得するものである。孤独感から逃げていては、ますます、孤独の袋小路から抜け出せない。一人暮らしをしている人が、早く誰かと一緒に住みたいと思うのは、この孤独感を十分に味わっているからである。


携帯電話は、コミュニケーションツールとして、今やなくてはならないものになった。その目的は、通信のためというよりも、孤独感を払拭するためである。電話帳にどれだけ友だちが登録されているかが安心感を担保してくれるのである。しかし一方で誰からもかかってこない「不安感」、かけても出なかった「不信感」、新しい機能が使えない「不満感」が発生する。


「昨日、友だちと生(なま)で話をした」と学生がいっている。なんと携帯電話で話すことが「生」らしい。メールが主なコミュニケーションの手段とすれば、「生」というのはうなづける。


「かくれんぼするもの、この指とまれと、ひとさし指を高くかかげて合図する。最近、こんな子どもたちの風景があまり見られなくなった。自分は遊びにしないで、見る観客になるのである。つまり、遊びはするものから。見て楽しむものになった。最近のテレビのバラエティ番組でも、タレントたちがゲームをして遊んでいるのを見て楽しむ、いわゆる「代理遊び」が登場したのである。


特に、「第3章 ブランコがこげない子どもたち」は、衝撃的だったなあ…。(+_+)


早く、地震がおさまりますように。27000名を超える死者・安否不明者の方々並びにご家族の皆様、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。多くの被災者の方が一日でも早く元の生活に戻りますように。