「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜電話誕生秘話!…『グラハム・ベル空白の12日間の謎』

グラハム・ベル空白の12日間の謎

グラハム・ベル空白の12日間の謎

またまたオモシロイ本に出会いました〜!(^v^)

誰もが一度は聞いたことがあるだろう、「ワトソン君、ちょっと来てくれたまえ」という、アレクサンダー・グラハム・ベルが、送った、人類初の電話のメッセージ。若き二人の研究者による輝かしい発明の物語だ。ベルが、電話に関する発明も含む、「電信の改良」の特許をワシントン特許局に出願したのは、1876年2月14日。この特許は、3月3日に認可され、3月7日に公開される。ところが、同じ2月14日に、電話の発明に関して、ベルの特許とあなり重なりのある発明の「発明特許権保護願い」を、イライシャ・グレイという技術者が申請していたが、ベルの届け出のほうが、二、三時間早かったために、ベルに特許が与えられたという話も、かなり広く知られている。しかし、ベルのこの発明と特許取得の裏に、どうやら、おおきな陰謀があったらしいことを突き止めた!


電話特許の謎に挑むノンフィクションミステリー!そのエッセンスを紹介しよう。


・研究を進めていくなかで、何世代にもわたって語り継がれ、何冊もの教科書にも載ったベルとワトソンの物語は、万人に好まれる一途な研究者たちの「達成の瞬間」という成功物語から、もっと複雑でおぞましいものへと変化していったのである。


ベルは今日私たちが電話と呼ぶ装置についてなど、ほとんど考えていなかったのだ。ベルが何よりもまず解決しようと努力していたのは、当時急成長をのさなかにあった電信産業を悩ませていた、一本の導線で同時に複数のメッセージを送信するにはどうすればいいかという問題であった。


・三月八日ある日ベルの実験ノートは、驚くほど新しい、あるアイデアが書かれていた。ベルが二月の終わりに書きこんでから、三月に改めて記入再開するまでに12日間の空白があることに私は気付いたのだ。ノートというものは、すべてのページにわたって連続的に記入していくものなので、継ぎ目なく仕事を打ち切ったあと、二週間近くも再開しなかった。そして、新しい送信機のアイデアを導入する前日、「1876年3月7日、ワシントンから戻る」と書いてあった。この12日間に何があったのか?



・電話の歴史に関する本に転載されたイライシャ・グレイの発明特許保護伺いの文書を調べると、グレイがベルと同じように、電話の送信機に液体、それも、酸を加えた水を使用していることを提案していることがわかった。この事実だけでも、見逃せない一致であると思われた。そして、グレイの特許クレームの三ページ目にある、彼が描いた自身の発明品の略図を見て、わたしはそこに描かれている電流に感電したかのようショックを受けたのである。わたしはすぐさま、これとほとんどまったく同じ図をつい先日、見たばかりだと気づいたのだ。そう、ベルはワシントンへの旅からボストンの実験室に戻って、それまで続けていた一連の系統だった探求を放棄して、競争相手の発明をほぼそっくりそのまま自分のノートに描いたのだった。


・ベルの父親が、「視話法」という、記号を用いた発音習得システムを普及させるのを助け、聴覚障害のある母親に自分が演奏するピアノを聞いてもらおうと心を配った優しい少年ベル、成人して、聴覚障害者の教育を生業としながら、音を電気的に送受信する技術の開発にも取り組んできた彼は、勤勉で誠実で、多くの人、とりわけ、ハンディキャップのある人たちの役に立ちたいという志を持ったベル…。そのベルがの運命が大きく変わったきっかけの一つはメイベルとの恋だった…


あとは読んでね。事実は小説より奇なり。面白すぎて寝られなくなるかも!?(^v^)