「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『松下幸之助と樋口廣太郎』(皆木和義)

松下幸之助と樋口広太郎―人間経営の知恵、人を活かす発想

松下幸之助と樋口広太郎―人間経営の知恵、人を活かす発想

著者は、株式会社ハードオフコーポレーション元社長であり、現在は、作家、歴史研究家、経営コンサルタントNPO法人確定拠出型年金教育・普及協会理事長の皆木和義氏。人生の大先輩としてビジネスマンとして。経営者として尊敬申し上げている。ありがたいことにSAに対して多大なるご評価とご厚意をいただき、外部応援団ということで、様々なことをアドバイスしていただいている。皆木氏が、影響を受けた経営者が、今里廣記日本精工元会長、稲盛和夫京セラ名誉会長、そしてこの本のテーマでもある、樋口廣太郎アサヒビール元社長だという。


恥ずかしながら、樋口氏のことは、スーパードライの生みの親」ぐらいしか存知あげなかったが、皆木氏からお話をお会いしてとても興味を持った。そして、松下幸之助を師と仰ぐ樋口氏。アサヒビールの奇跡」を演じた樋口氏の発想と行動学を、松下の教えと共に解明する一冊がコレだ。そのエッセンスを紹介しよう。 


「先人の碑」は、アサヒビールの創立百周年事業の一環として大阪府吹田市に建立された。1987年(昭和62年)五月「スーパードライ」が発売とともに爆発的な売れ行きを見せたその機を捉えて、樋口が提案したものである。アサヒビールは、多くの関係者の支えがあったからこそ、ここまでやってこられた。一番大切なのは、アサヒビールの役員・社員全員の恩に報いる心、自分たちがお世話になった関係者への感謝の心であると樋口は考えたのである。建立者として、アサヒビールの名前があるだけで、当時の社長である樋口の名前は入っていない。ここに樋口の「いささかも痕跡を残さず」という生き方の美学の投影がある。


「先人の碑」には、責任者の方が毎日、命日の型の人数分の菊を献花している。そして、毎朝9時30分に、全役員が「先人の碑」の方向に向かってお参りするのである。春、秋には例祭があって、全役員が「先人の碑」の方向に向かってお参りをするのである。トップである樋口はもちろん、経営幹部から末端に至るまで一人ひとりの社員がみな先人への感謝を忘れない。それが社風、風土まで高まっていることを私は肌で感じ、そのことを確信した。人を大切にする会社が発展しないわけがない。「先人の碑」は、アサヒビール社員の精神性の高まりの象徴とも見えるのである。


・1986年三月に住友銀行副頭取からアサヒビール社長に就任した。当時は焼酎ブームでビール業界全体が戦後最大の落ち込みを記録し、アサヒは毎年のようにシェアを落とし続け、9.6%と、とうとう一ケタ代のシェアになり、「夕日」ビールと揶揄されるありさま。樋口はもっとも経営状態の厳しい、逆境の中で社長としてのスタートだった。
最初にしたのは、全社員に向かって、「絶対人員整理はしない。ボーナスも可能な限り払う」と約束することだった。銀行マンとして多くの企業の経営ぶりを見てきた樋口は、人員整理しなければならなくなるのは、先の見通しの甘さとずさんな経営に責任がある、という持論を持っていた。安定した収益を上げる体質をつくるには、まず社員の不安を取り除き、心おきなく力を発揮してもらわなければならない、そのための宣言であった。そして、近い将来の夢として、「給料はサッポロ以上、ボーナスはサントリー以上、勤務時間はキリンより短く」まさかその目標が、コクキレビールやスーパードライのヒットで、樋口の社長就任二年目から実現することになるとは、誰も思わなかっただろう。


人間は本来、向上心や自助努力の力を内在させた熱気球のようなものである。ロープで地面につなぎ止めておこうとしたり、重しをつけたりしなければ、気球はひとりでにどんどん上がっていく。樋口がよくいう「人間熱気球論」である。組織は社員にいろいろな重しをぶら下げている。その重しをはずしてやれば、気球はひとりでに上がっていく


・樋口は、部下と顔を合わせるたびに、「何か困ったことはないか」と声をかけた。このくらいならエレベーターの扉が開閉する間にできる。何もなければそれでよし、一つでも二つでも聞き出したときには、「今は無理かもしれないが、考えておこう」とか、手帳に書いて「一か月以内に結果を伝えるから」と言葉を添えた。樋口はいう、「もともとアサヒビールは素晴らしい会社であり、素晴らしい従業員がいた。ただ、それが活かされていなかっただけだ。私はその力を思う存分発揮してもらうためのお手伝いをさせていただいたにすぎない」と。社員の士気を下げる障害さえ取り除けばこの会社は浮上すると、樋口は確信したのである。


・樋口はかつの指名解雇者に対して、復職を呼びかけ、指名雇用をした。「私は、企業が従業員の首を切ることは、絶対にやってはいけないことだと思っている。もともと同じ釜の飯を食べた仲ではないか」


・樋口は、アサヒビールの顧問になると、早々に、キリンビール会長とアサヒビール会長にあいさつに出向き、「銀行出身の何も知らない素人社長」を逆手にとってアサヒビールのどこが悪いのか、どうすればいいのか教えてください」樋口の真摯で謙虚な飾らない人柄が、彼らに本音を語らせたともいえるだろう。「あなたのところはもうちょっと良い原材料を多方面から取り寄せて使ったほうがいいのではないか」「アサヒさんは小売店によく古いビールを置いていますが、ビールで大事なのは新鮮さです。フレッシュ・ローテーションですよ」樋口は、さっそく問題解決にあたる。


・琵琶湖はなぜ汚れないか?琵琶湖の周辺に人口が密集して、生活雑排水も多いのに、なぜ汚れないのか。琵琶湖は湖面が低いために四方からいくつもの川が流れこんでいる。そのほかに湧水もある。だから自浄作用が働き、湖水は全体として常に浄化されていくからだ。また流れ込む川がとてもたくさんあるのに、流れ出る川は南端の瀬田川一本しかない。つまり姿勢を低くして周囲のすべての水を受け入れ、唯一の出口である瀬田川にエネルギーを集中させている、とも言う。つまり、人間や企業も琵琶湖のように、常に腰を低く、謙虚な姿勢でいれば人は幅広い領域からさまざまな情報をもたらしてくれるし、助言を得ることもできる。そして活動という出力作業をするときには、瀬田川のように全エネルギーを一カ所に集中させて注ぎ込むのがよい姿勢を低くしてあらゆるものを受け入れ、エネルギーを出すときは一カ所に集中して出す。樋口はこの琵琶湖の姿勢で臨んでいるのである。


・樋口はいま、仕事関係で会う人の数を一年間に1500人と決めている。それ以上の人と会うと、一人ひとりと話し合う時間が限られて、十分なコミュニケーションがとれないからだという。(制限して1500人とうのもすごい数だが)
密度の濃い時間を過ごす術を、彼は自身の人生の中で体得してきたのだろうし、一方で短時間の間に相手を惹きつける術を見につけ、魅力を備えているのだ。例えば外国に行ってパーティーに呼ばれたとき、「絵の話、音楽の話、子どもの話、それにバケーションの話をしていれば会話がとぎれることがない」と彼はいう。つまり、「それくらいの会話のできることが最低条件だよ」と教えている。日頃からスマートな遊び方をしていないとむずかしい。彼は良い意味での遊びの達人でもある。


スゴイ!今年は、樋口氏から学ぶ年にしていこう!SAでも『樋口廣太郎から学ぶ人間力講座』を作っていく予定です。おススメです。(^u^)