「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜日本語誕生の物語!…『日本語の奇跡』(山口謠司)

日本語の奇跡―「アイウエオ」と「いろは」の発明 (新潮新書)

日本語の奇跡―「アイウエオ」と「いろは」の発明 (新潮新書)

私の父は、昭和8年生まれだが、「ゐ」「ゑ」などの今は存在しない母音を使っていた。たとえば、「会社」のことは、「かいしゃ」ではなくて、「くゎいしゃ」と発音していた。五十音図を見ても「ゐ」「ゑ」は無いよね。いつからなくなったのか、以前から不思議に思っていた。

「あいうえお」と「いろは」はどのように発明されたのか?日本語の母音は8つあった!?


五十音図」に代表される論理的な〈カタカナ〉、いろは歌に代表される情緒的な〈ひらがな〉、そして中国から渡来した漢字。これらを巧みに組み合わせることで、日本人は素晴らしい言葉の世界を創り上げてきた。空海、明覚、藤原定家、行阿、本居宣長大槻文彦……先師先達のさまざまな労苦の積み重ねをわかりやすく紹介しつつ、これまでにない視野から、日本語誕生の物語をダイナミックに描く。そのエッセンスを紹介しよう。


「ひらがな」で表記された五十音図ができたのは、1947年(昭和22年)、文部省著作教科書が発行されたのと同時で、それほど古いことではない。それ以前、五十音図は、「アイウエオ」と「カタカナ」で書かれることが常識で、戦前、尋常小学校で習う文字は、「ひらがな」よりも「カタカナ」の方が先だった。「サイタ サイタ サクラガ サイタ」は、有名である。では、それ以前「カタカナ」が日本語のメインだったかというと、そうではない。「ひらがな」は、「いろは」によって覚えられ、使われていたのである。


「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず」

この無常観漂ういろは歌は歌であり、和歌に代表される歌こそ我が国固有の言語文化に不可欠の要素だからである。五十音図では、現在すでに、ワ行の「ゐ」「ゑ」が抜かれて教えられているが、もし、「いろは歌」でこれらを抜いてしまったとしたら、意味が通じなくなってしまう。日本語の発音という面から考えても、「いろは歌」は重要である。たとえば、「わたしが」という時の「が」は、こう書かれていても、実は「んが」と鼻から抜ける音として発音されるのが正統とされる。


日本には古来書き文字はなかった。漢字が伝わることによって初めて、日本語は固有の、システムと情緒を書き表す表記方法を手に入れる。しかし、感じの根幹には中国という世界が広く深く横たわっている。

たとえば、「sky」をあらわすのに、当時、日本人は、「あめ」「あま」「そら」「かみ」「たか」などといった言葉を使っていた。…しかし書けない。そこで困り果てた日本人を見て帰化人がいう。「あれを、オレたちは『天』と書いているよ」「そうか、最先端の国、中国では『天』と書くのか!」と、とりあえず、「あめ」「あま」「そら」を「天」と書くことにする。意味はある程度共通しているのだから、一応こう書くことで代用はできる。


「安」が「あ」、「以」が「い」…いわゆる「ひらがな」が成立するのは、平安初期から中期、945年(天慶八)年没の紀貫之よりやや早い時期だとされる。まず言葉を書く術がないところに感じが伝来し、やがて感じの形の一部を利用して「カタカナ」が、全体をデフォルメした草書体を利用して「ひらがな」が、新しい我が国独の文字になっていったのである。



その他「国家とは言葉である」「万葉仮名の独創性」「空海が唐で学んできたこと」「いろはの誕生」「明覚、加賀で五十音図を発明す」「さすが、宣長!」は、ぐいぐい惹きこまれる内容だ。すべての日本人、読むべしっ!(^v^)この本と併せて読もう!


BOOK〜『ん 日本語最後の謎に挑む』(山口謠司)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20100404