「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

TV〜「絆でつかんだ栄光〜長野五輪ジャンプ団体」


ハンバーガー…じゃなかったバンクーバーオリンピックも終わったね。(^^♪ なんで、一流選手の演技や競技やドラマはいつも胸をアツくさせるんだろうね…。私が今まで、見てきた数々のオリンピックの名シーンでの中で最も好きなのが、1998年の長野オリンピックのスキージャンプラージヒル団体の金メダルを取ったときの映像だ。金メダリストとなったのは岡部孝信船木和喜原田雅彦、斎藤浩哉の4人。何度見ても涙が出る…。(ToT) これを見て、またまた感動!!!


You Tube 98長野五輪スキージャンプ団体 感動の金メダル
http://www.youtube.com/watch?v=vQn1qQUhXlo

さて、ウチ(SA)のトレーナーの橋本から勧められて、NHKのスポーツ大陸でその長野五輪の裏側を紹介したドキュメントを見た。なぜ12年も前のことを番組にするのだろう!?と思ったのだが、実はこの金メダルには、けっして表舞台には登場しないテスト・ジャンパーの影の支えがあったのだ!!!そのエッセンスを紹介しよう。


私も知らなかったのだが、スキージャンプ競技には、テストジャンパーと呼ばれる試験飛躍員がいるのだ。長野五輪では総勢25人ものジャンパーが裏方として支えていた。彼らは、ジャンプ競技が安全に行われるように、ケガをしないように、着地点に問題はないのか、など実際に飛んで確かめるといういわば実験台のよなモルモットのような存在なのだ。

そのメンバーの一人に前回リレハンメルオリンピックの代表・西方仁也がいた。原田と同い年。中学二年のころからジュニアオリンピックで活躍した仲間だった。原田は天才型、西方は努力型。彼は長野五輪直前に身体を壊し、テストジャンパーになっていた。いいようのない屈辱感、この4年間は何だったんだ…という気持ちを持ちながら、夢の舞台でのテストジャンパーは苦痛以外の何物でもないと思っていた。宿泊先は、民宿で、6畳相部屋でなんといこたつ。代表選手の時とあまりのギャップにプライドはズタズタになった。


金メダルに一番近いといわれていたのがスキージャンプ団体。前回のリレハンメル五輪で原田の失速による銀メダルに苦い経験をしたのでなんとしても金メダルと取りたかった。


あいにく競技当日は大雪。オリンピック史上最大の悪天候。テストジャンパーたちは、朝6時から何度も飛ばされた。悪天候、不利な追い風。雪辱を期していた原田のスタート時に急激に天候が悪化し、失速。非常事態だった。視界不良で前方が見えない。助走路に積もった雪でスピードが上がらない。日本チームは1本目を終えて4位という予想もしない展開となった。

テストジャンパーたちは語る。「何で原田さんのときだけこんな状況なんだ」

原田は語る。「天候のせいにはしない。皆の足をひっぱりたくない。実力だけじゃないんだ、運も味方につけなければ」

原田は西方の紫のアンダーシャツを着ていた。手袋は同じく同期の葛西紀明から借りたもの。「お前達と一緒に飛ぶんだ」


吹雪になり競技は30分の中断になった。なかなか天候は回復しない。1位 オーストリア、2位 ドイツ、3位 ノルウェー、日本は前半4位。このまま再開できなければ4位確定しメダルは届かない。競技の再開は「ジュリー」と呼ばれる4人の最高責任者による「ジュリー会議」で決議するのだが、このメンバーがナント1位から4位までの上位国なのだ。オーストリアの委員はいう、「このまま中断になれば金メダルが確定したのに…」協議の結果、「テストジャンパーによるテストジャンプを見て競技続行か打ち切りかを判断する」


残された道はただひとつ、テストジャンプで安全に、しかも好記録を出さない限り競技続行、そしてメダルはない…。

「やらなきゃいけない、このままでは終われない。日本人として悔しかった」

テストジャンパーの戦略はこうだ。視界不良でほとんど前が見えない恐怖、しかし転倒するわけにはいかない。その中でいかに距離を出し、大ジャンプするか、安全を証明し再開させるか、雪が積もるまえに矢継ぎ早に飛び、助走路を固める。後の人を飛びやすい状況を作るのだ。日本代表にあこがれ、彼らの逆転を信じるテストジャンパーたちが、前も見えない恐怖の中を次々に飛び立っていく。拍手も歓声もない。目の前の観客はこのとき何と戦っているのか知らなかった…。


次第に吹雪は治まり、滑走路が固められて距離が出るようになった耳の不自由な高橋竜二は130mの大ジャンプ!、
西方は語る。「今までは失敗しても自分で受け止めればよかった。何の記録にも残らないジャンプがいかに重いか。ここまでみんながつないでくれた、今度は自分がつなぐ番だ」そこで見せた123mの決死の大飛行!拍手も歓声もなかった。ジュリーのメンバーは競技再開を決定した。

2本目がスタートした。岡部137m、斎藤124m。そして原田は、テストジャンパーたちに叫んだ、「よし、いくぞ!」そして奇跡の137mの大ジャンプ。


ラストは船木が125mで金メダル!!!原田は涙ながらに語る、「…おれじゃないんだよ…、みんなでつかんだんだよ…」
あの原田の言葉の意味がやっと分かった!(ToT)


オリンピックに限らず、私たちは多くの人の見えない力で支えられているんだね…。これDVDにならないかな〜!機会があればぜひ見て欲しいなあ!感動のドキュメントでした!


NHK スポーツ大陸 大逆転スペシャル 絆でつかんだ栄冠 〜長野五輪 ジャンプ団体〜
http://www.nhk.or.jp/spotai/onair/213/index.html