- 作者: 関裕二
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2008/09/01
- メディア: 文庫
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浦島太郎、竹取物語、一寸法師、金太郎伝説、因幡の白兎、桃太郎、ヤマトタケル、鶴の恩返し、かぐや姫、カゴメ歌の謎などは単なる童話ではない!(・。・)
実は、古代史の真相に行き着く「民族の記憶」なのだ!日本のおとぎ話に隠された日本古代史の謎を大胆に推理しているのがこの本。詳細は読んで欲しいな。(^^♪そのツボを紹介しちゃおう。
・お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に…。なぜ、多くの昔話はおじいさんとおばあさんのところに子どもがやってくるのか?
老翁(老人)と童子(子ども)という対極の存在には、生と死の境界に近い場所に位置し、「神聖なもの」という評価が与えていたからなのだ。つまり、人間にとって、生誕と死こそが、人生最大の転機であり、奇跡の瞬間でもあった。どちらも、「人間ではないもの」=神にもっとも近い存在なのだ。
・日本人の信仰における神の特殊性として多神教の神の特殊性がある。つまり、神は恵みをもたらすとともに、時に人々に災いをもたらすという二面性を秘めていた。つまり神は神でもあり、祟りをもたらす「鬼」でもあったのである。
例えば、「雷神」である。雷神は人々を恐怖のどん底に突き落とす祟り神の象徴となったが、逆に雷が落ちなければ豊作は望めないという信仰があった。雷を「稲妻」ともいうのは、雷神が稲穂と交わることで、稲は実を結ぶと信じられていたからである。
・『御伽草子』の一寸法師のあらすじはこうだ。
その昔難波(大阪)の里に年老いた夫婦が暮らしていた。妻は子が出来ず、住吉大社に願掛けを行ったところ、大明神は哀れに思い、子を授けたのだ。ところが、生まれ出た子はいつまでたっても背が伸びない。そこで、一寸法師と名付けられたまま、十二、三の年月を重ねた。これはただ者ではなく、化け物風情か何かだろうと老夫婦は思い、どこかにやってしまわねばならぬと思う。親の気持ちを知った一寸法師は、京に旅立つ…。そして…。
へえ〜!!!の連続!\(◎o◎)/!こんな話から入れば歴史の授業も面白くなるだろうにね!(^◇^) おススメ!