- 作者: 加治将一
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2008/07/24
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 68回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
著者の加治将一氏は、歴史本では、かなり衝撃的な内容を世に送り出している。この本もインパクト大だったよ〜!(^◇^)
BOOK〜龍馬暗殺の真相は!?…『あやつられた龍馬』(加治将一)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20070605
タイトルに惹かれて読んだけど、あまりに面白すぎて付箋だらけになっちゃいました。もっと歴史に詳しければ理解度も深かったのだろうけど…。タブーに挑戦したような内容だけど、かなり説得力があるなあ。チラ見しちゃおう!
・我々の祖先、倭人は対馬・朝鮮海峡を挟んだ、朝鮮南部、対馬、九州北部全域がエリアだったようだ。そう、倭人は朝鮮半島南部にも住んでいたのだ。しかし朝鮮半島は水が少なく、日照りが多い。一方日本は稲作にはもってこいの気候なのだ。そして渡来人は、BC一世紀、九州、出雲、近畿への移民が進み、地元の縄文倭人と戦いを繰り返しながら有力豪族へとのし上がっていくのだ。
・文字を持たない民族はおおむね飲み込まれていく。インカ帝国、アメリカ・インディアン、ハワイのサモア人、北海道のアイヌ…みな文字を持たなかった民族は、文字をもったよこしまな考えを持つ多民族に征服されたのだ。
大雑把なことなら口頭で伝わる。しかし細かな作戦ともあれば、どうしても文章にしなければ正確には伝わらない。指揮、命令をこまめに伝える文字は戦力の要だ。「ペンは剣よりも強し」「はじめに言葉があった。言葉は神であった」のだ。
・水田稲作は難しい。田植えの季節、刈り取りの季節を読む、つまりカレンダーを知る必要がある。定期的な雑草の駆除など、水田稲作というのは忍耐と計画性の賜物だ。米は八十八回の手を入れなければならないことから「米」は「八十八」と書くくらい知的な労働なのだ。
・やがて文字と水田稲作が支配階級になくてはならない武器になり始めた。稲作こそが貧富の差を生み、上下階級社会を加速させた張本人である。なぜなら貯えがきくからだ。魚や野菜、果物なら新鮮さが勝負で、あっという間にダメになるがコメは違う。風通しをすれば3年くらいもつ。ゆえに厳然たる階級社会を生んだのだ。
・一般に狩猟民族が民族が戦闘的で、農耕民族は争わないと思っているが完全な間違いだ。一見、のどかで平和に見える農耕民族の方が守るべきものがあるから戦うのだ。備蓄米、土地、水資源、種…土地にしばりつけられていて、逃げがきかない。だから戦闘的にならざるをえない。一方、狩猟が主体の土着倭人には土地への執着心はないのだ。
・初めて天皇を名乗ったのが、8世紀の天武天皇だ。名乗ったというより、発明したというべきだろう。初めて天皇を名乗ったのにもかかわらず、天武は自分で第40代の天皇だと言い出した。初代は、神武という名前をひねり出したのだ。神武の即位はBC660年。
一般的に文字は仏教とともに来たことになっている。(AD537年)。ならば「神武」という字は存在しない。もっと言えば家系図だってなかったはずだ、文字がないのだから。にもかかわらず1100年前の先祖の名前と生存年数、結婚した相手、おもな履歴なども丸暗記することが可能だろうか?
…その他、出雲は神の国、神話の国であったのに、なぜ山陰と「陰」になり、歴史から消されてしまったのか?一般の神社は二礼二拍手一礼だが、なぜ出雲大社は、二礼四拍手一礼なのか?日本のジプシー「幻の漂泊民」・山窩(サンカ)とは何か?「君が代」のメロディはイギリス人が作った?なぜ天皇という独特のポジションが発明されたのか?天皇の軍事力は歴史的に見てもさほど強くはないのに、蘇我、物部、中臣などの豪族は天皇を粉砕しようとしていいないのはなぜか?さて、初代天皇はどこから来たのか?
…さあ、どんな結末になっているのか?(?_?) 下巻が楽しみだ!