- 作者: 佐村河内守
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/11/01
- メディア: 単行本
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…壮絶だ…。凄い…。事実は小説より奇なりというが、この人生は神のいたずらとしか思えない…。佐村河内守氏はベートーヴェンの再来かもしれない。いや、それ以上かもしれない。
ヒロシマで、被爆二世として生まれた氏は、幼児期に母親から徹底したピアノの英才教育を受け、ヴァイオリン、尺八、マリンバ(木琴)を半強制的に習わされる。そして音楽求道の毎日を送る中、高校時代から、すさまじい偏頭痛に悩まされ、20代で聴覚異常を発症。35歳のとき一切の聴覚を失い全聾になる。
しかし彼には、作曲を続けられる絶対音感があった!
その後ゲームソフト『鬼武者』の音楽、「交響組曲ライジング・サン」で世界的な評価を受ける。しかし彼を襲う、抑鬱神経症、不安神経症、パニック症候群で二度の自殺未遂…。\(◎o◎)/!
24時間、365日、ボイラー室内に閉じ込められたかのように、一瞬たりともその轟音が鳴りやまないほどの原因不明の耳鳴りや発作、発汗や嘔吐を伴う硬直の後、激しい全身痙攣が起り、発作が長引けば気絶してしまうこともあり、彼の仕事場である神聖な音楽室は、嘔吐物と尿と血にまみれた恐ろしい戦場と化すことも。
全聾ゆえに隠者生活を選び、止むことのない壮絶な肉体的かつ精神的な苦痛の闇にいながら、今も同じように苦しんでいる人々に向けて、日々音楽を紡ぎだしている。
・音楽は生れたときから私の生に欠かせない一部であり、24時間それに包まれていました。当時の私にとって音楽を習得することは、呼吸することに最も近い感覚だったと思います。物心つく前から、ごく自然にじわりじわり沁み込んできた音楽の知識に対しては、乾いた布地が大気中の水分を吸収するように、秒単位で絶え間なくゆっくり浸透してきたからなのかもしれません。
・私には音楽しかない―すべての音を喪くして以降の私は、そのようにいいいきれます。まず衣・食・住と睡眠に興味ありません。睡眠は、処方できる限界の強さの睡眠薬でも耳鳴りが打ち勝ってしまうため、一日二、三時間しか眠れないので、興味がないというよりあきらめているといいった方が正しいのかもしれません。
曜日の感覚もなく、正月すら特別なものではありません。私は、あまりに音楽のためだけに、生きすぎてしまっていたのです。「耳が聞こえなくなったからこそ、私には音楽しかなくなった」という痛烈な逆説に思い至りました。
…言葉では言い表せないとはこのことだろう。道を極めるというのはこのことなのだろう。…音楽を聴いてみたいなあ…。また、あまりに恵まれすぎていて、過保護な自分自身を痛いほど感じる…。今年読んだ本のベスト10に入るだろう。読むべし!(・。・)
『交響曲 第一番』 佐村河内 守さんの音楽と人生(広島市)
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1197626895435/index.html
鬼武者 音楽監督 佐村河内 守について
http://suleputer.capcom.co.jp/oni/mov3.html