「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜男は時代を生きた…『小野田寛郎の終わらない戦い』

小野田寛郎の終わらない戦い

小野田寛郎の終わらない戦い

小学生の頃、1974年だから10歳の時、ルバング島から30年ぶりに小野田寛郎さんが帰国したのは衝撃的なニュースだった。ジャングルで30年を過ごすなんて想像を絶する…。\(◎o◎)/!そんな小野田さんも今は86歳
鋼のように強靭に、青竹のように柔軟に、男は「時代」を生き抜いた。ルバング、日本、ブラジルと、常に何かに立ち向かわざるを得なかった天命を受け入れて、歩み続ける一人の男の「真実」が、いま初めて明らかになる。渾身のヒューマン・ドキュメント!印象的なフレーズを紹介しよう。


・小野田さんの両耳には、電波式の補聴器。彼の耳は老化のせいで悪くなったのではなく、鼓膜を蟻に食い破られたのだ。鼓膜を蟻に食い破られる―風の日本人にはない体験が彼の、特異で苛烈な人生を象徴している。


中野学校は、諜報戦(スパイ活動)や遊撃戦(ゲリラ活動)の訓練機関。
陸軍中野学校二俣分校へ入校した小野田は、いきなり、無駄死にしないで生き残れと言われる。「たとえ国賊の汚名を着ても、どんな生き恥をさらしても生き延びよ。出来る限り生きて任務を遂行するのが中野魂である。」横山静雄中将が言った。「玉砕は一切まかりならぬ。三年でも、五年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が一人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな。」


・―今まで、一番辛かったことは何ですか?
「戦友を失ったことです」


・―嬉しかったことは何でしょうか?もし、ございましたら…。
「29年間、嬉しかったことっていうのは、今日の今までありません」


・「最初の3年間は苦しかった。ともかく地形が分からない。まともな地図一枚ないんですから。それから地べたに寝ること。やっぱり、夜露に濡れながら泥の上に直に寝るのは、初め抵抗があります。まあ、その内慣れてきますけどね。雨季の時なんか、座ったまま眠れるようになりました。下から吹き上げてくるようなスコールだから、地べたに横になることさえ出来ないんです。
根本的には、ともかく生きねばならない。負けられないということがあるから、だから必死に考えて覚えてゆく。地べたに寝ていると蟻が入ってくるんです。耳栓をすればいいんだけど、音が聞こえなくなるのが恐くてね。だからどうしても耳栓をして寝る気がしなかった。


・―神や仏に何かを祈ったり、救いを求めたりは?
ないですね。ただ、感謝はしましたよ。神様というか自然投というか、我々の考えられない力が生かしてくれたって想いはありました。だから万物へ感謝した。そういう意味で、毎年一回だけは手を合わせました。でも"ありがとうございました"と感謝するのであって、"今年もよろしく"とは言わない。先のこと、毎日のことは自分で何とかしなくちゃいけないんだから。だって、自分以外は誰も何もしてくれないんですからね


・−人生の最も貴重な時期である30年間をジャングルで過ごされたわけですが、この30年間をどう考えておられますか?
「若い、一番意気盛んな時期を、全身を打ちこんでやれたことは幸福だったと思う」


―30年間、心に思い続けてきたことというのは何でしたか?
「任務の遂行以外にありません」


―ご両親のことは、お考えになりませんでしたか。
「出かけるときに後顧の憂いのないよう別れをしましたので、ございません」


…ん…凄すぎる…。時代に翻弄された小野田さんの生生しい肉声が聞こえてくるようだ…。そして今の私たちの生活がいかに過保護で恵まれて過ぎているか…。環境がいかに人間を順応させるのか…、考えさせられる一冊です。おススメ。


新潮社 戸井十月小野田寛郎の終わらない戦い』 原田三朗
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/403104.html