「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「苗字の謎が面白いほどわかる本」(丹羽基二)

苗字の謎が面白いほどわかる本 (中経の文庫)

苗字の謎が面白いほどわかる本 (中経の文庫)

新潟県長岡市に来ています。(^^♪故郷はホッとするなあ。


私の姓・小野塚というのは新潟県に多い名前だ。私が生まれた十日町市松之山(旧・東頸城郡松之山町)は日本の三大薬湯のひとつ・松之山温泉があるのだが、生家の集落は皆、小野塚姓だ。東京帝国大学総長の小野塚喜平次という人は新潟県長岡市出身だが、きっと遠い遠い親戚なのだろう。(^◇^)


さて、日本の苗字の数は約30万。中国で約500、西欧でいちばん多いといわれるフィンランドでも3万程度なのに比べると、その数は驚異的!
日本にはなぜこんなに苗字が多いのか?佐藤、鈴木、高橋などのポピュラーな苗字のルーツは?苗字のおもしろ知識が満載の一冊!いや〜面白くて一気に読んじゃった!!!そのツボとコツを紹介しよう。


われわれの苗字のルーツはだいたい地名にあるが、中には職業、屋号、特別のいわれをもとに創成されたものもある。そして漢字が導入されたため、音と訓の読みが生まれて複雑化し、さらに文字に「よい字」(佳字、嘉字、好字)を用いるようになったため、転々と変化する。たとえば、「窪」という人が「久保」と改めるような例である。


・古代の姓氏…ウジ(氏)とカバネ(姓)
同族に付けられたグループの名称がウジで、そのランクがカバネである、たとえば蘇我はウジで、蘇我臣の臣はカバネだ。
・中世の姓氏…名字(みょうじ)
所領の主や土地の居住者が付けた名称である。ウジやカバネとは別の呼称だ。多くは土地と結びついているので地名を名乗る。
・近世の姓氏…苗字
所領や土地とは結びつかないが、血筋が同じというシルシで「苗」なる文字を用いた。祖先を同じくするという意味だ。
・近代の姓氏…明治新姓(苗字)
明治八年(1875)に出された「苗字必称令」がそのもとである。苗字のない者、分からない者、隠していた者などが、改めて称した。これを近世を踏襲して苗字といっている。


・日本の家の家紋というのは、昔、文字で書いても分からない人のために、絵で示せば、そのものズバリ!遠くからでも、それは一目瞭然だ。そういうわけで、昔の貴族は、車にも家紋を付けたし、手箱にもつけたし、着物にも付けたのだ。


新宿区の新宿は内藤新宿といって、徳川家康の関東入国の際、内藤清成という武将が伊賀の鉄砲隊を率いて警備に当たったところである。ちなみに今の新宿御苑は内藤氏の屋敷跡である。


小鳥遊(たかなし)さん=鷹がいないので小鳥が遊ぶ、月見里(やまなし)さん=山がないので月がよく見える里。


元明天皇という女帝が奈良時代におられた。この天皇の時に「地名には、二文字の佳名を用いよ」というお触れが出た。(和銅六年=713)
今まで一字から三字、四字で書かれた地名も二次嘉名にしなければならなくなった。
例えば、紀(木)=紀伊、 泉=和泉織部(はたおりべ)=服部(はっとり)は、ハトリベ→ハトリ→ハットリと転化した。ムサシの国は牟射志などを表記したが、武蔵に変えられ、サガミの国も佐賀牟または佐加三だったが、相模に変えられてしまったのだ。


・公家の藤原氏天皇の側近で政権を握っていた。これに対して、地方に下った武家藤原氏は祭祀と武力を握った。これらの苗字は、地名・職名・国名と藤原氏を結びつけたもの。

斎藤斎宮頭(さいぐうのかみ=伊勢神宮に奉仕する長官)の藤原氏
佐藤…左衛門尉(さえもんのじょう)の役職名、または下野国佐野庄の藤原氏
武藤武者所に勤務する藤原氏、または武蔵国藤原氏
伊藤伊勢国藤原氏
加藤加賀国藤原氏
近藤近江国藤原氏
遠藤遠江国(とおとうみ=静岡県)の藤原氏
安藤安倍氏藤原氏の結合。
江藤…大江氏と藤原氏の結合。
工藤…木工助(もくのすけ)の藤原氏
内藤内舎人(うちとねり)の藤原氏


鈴木は、日本における最大、最多の姓。50人に一人は鈴木さん。なぜ鈴木さんは、こんなに多いのか?和歌山県熊野地方をはじめ、近畿、山陰一帯では稲穂のことをススキという。神霊の宿る木=米のなるイネだ。そう鈴木さんは稲さんなのだ。


田中姓は、地名から。日本人の主食は米である。そこで田が作られ、田の開発に伴って、田中の地名がたくさんできたわけだ。田中さんはその地に居住し、田んぼの耕作を続けたのである。上手にあるから上田下手にあるから下田山の方にあれば山田。その他神田、寺田などの特別な田もできた。
増田(益田)は、ますます増える田んぼで、おめでたい、その意味で佳名。もともとは升田で、四角い田んぼのこと。そして円形に湾曲しているような田を輪田(和田)といった。吉田はもちろん、「良い田」の意味。


という苗字は今はカツというが、もともとはスグロ、スグルと読んだ。勝の字だけでもこう呼んだが、勝呂とも書き、同様に読んだ。この勝呂は外来の帰化人の長、多くは村主(村長)に当てられた尊称で、のちにカバネに転じたものである。今も村主と書いてスグリ・スグロ・カツロと読ませる姓もある。


さて、私の小野塚姓はどこから来ているか?本の中から探ってみると…。

小野
京都市北区小野。遣隋使の小野妹子小野毛野(けぬ)などを出した古族の居所。これはのちに、近江国滋賀郡に移った。


・おしりに<塚>の付く三大苗字は大塚・飯塚・石塚。続いて手塚・戸塚・中塚の順。塚とは墓のこと。死体を埋めて土を盛る。ツカとはツクこと。土を築いて使者のシルシとしたもの。その近くに住んでいる人が、この地名を苗字にした。飯塚は「飯を盛ったような塚」。貝塚は、そこから貝が出たため。鬼塚は、霊魂を閉じ込めた塚。


この組み合わせなのかもしれないね。なぜ新潟に多いのか…!?これからも調べ続けよう。自分の名前のルーツを探るって面白いよね!(^◇^)