「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

DVD〜執念のテレビ…技術者魂30年の闘い(プロジェクトX)

皆さん、お盆休みいかがお過ごしですか〜?(^^♪ 私は、仕入れの毎日。たまってるビデオとDVDを見て、本を読んで、スポーツクラブに行って、よく寝て、(*^。^*) 料理作って、明日は実家の小田原に帰って、とたっぷり充電してます。さて、今日もプロジェクトXネタ。


JOAK TV こちらは東京テレビジョンであります。』


1953年(昭和28年)2月1日、日本初のテレビ本放送開始の第一声がこれだった。テレビ、その実現までには多くの技術者達の知られざるドラマがあったのだ。\(◎o◎)/


テレビ本放送開始をさかのぼること約30年前の1926(大正15)年人々は新しく生まれた娯楽・ラジオに熱狂していた。ちょうどその頃、世界を驚嘆させる実験が浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)で行われた。手書きの「イ」の字をブラウン管に映し出すというテレビ実験。成し遂げたのは若き研究者、高柳健次郎27歳だった。
2年前古本屋で見たフランスの娯楽雑誌にある空想図が書かれていた。ラジオから音と一緒に女性の姿が映像で送られてくる。フランス語で遠くを見る=Television といった。高柳の趣味は歌舞伎鑑賞。もし、これが出来れば、全国の人が家にいながら歌舞伎鑑賞が出来る!彼は一人研究室にこもり、世界初のテレビの原理を発明したのだ!  


やがて高柳は、 NHKに請われ、放送技術研究所で、200人もの弟子を集め、テレビ放送実現に向けて開発に邁進する。…しかしその矢先、戦争が勃発…。(^_^;) 1940年(昭和15年)開催予定の東京オリンピックは幻となり、テレビ放送開発は中止、プロジェクトチームも解散!高柳は軍の命令でレーダー開発に従事することになった。そして終戦。「研究を再開できる」と喜ぶ高柳の元に、GHQから衝撃の報せが届く。「テレビ研究は電波兵器につながる。禁止だ」さらに高柳自身、戦争協力者だとして職を追われてしまう…。


しかし高柳は諦めなかった。一か八か勝負だ!『私はテレビ放送を実現したい。メーカーの壁を越えてプロジェクトに参加して欲しい。』戦後の復興を願い、しのぎを競っていた企業が、その壁を越えることは前代未聞。プロジェクト結成『テレビジョン同好会』を呼びかけるのだったが…。


いや〜すごい!ドラマチックだね〜!『テレビの父』高柳健次郎のリーダーシップと影響力だね!この時代の息吹が伝わってくる!


早川電気(現・シャープ)の笹尾三郎は、高柳の全てを真似た。毎日100ページの海外文献を読んだ。


NHK放送研究所の藤尾孝氏は言う、『成功した一番の要因は、高柳先生の引っ張っていく力。先生の馬力だと。技術とか工学というのは、理論じゃない。馬力だと思う。それがすごかった。』


高柳健次郎『大勢の一緒にやってくれる方が、それぞれの部門で非常に知恵を働かせて良くしていただいた。一人の天才っていうんじゃなくて大勢の人がそれぞれの長所を生かして天才と同じような役目をしていただく。その総合力でできるようにしなきゃいかん。これが非常に大事だと思いますね。』


我々は、テレビに感謝せなあかん!(東国原知事風に)どれだけの恩恵を受けているか。感謝、感謝だね。(^^♪


テレビの父 高柳健次郎
http://www.jvc-victor.co.jp/company/technology/human/index.html