「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

DVD〜トヨタ自動車…国産自動車 攻防戦(プロジェクトX)

日本が誇る超・優良企業、トヨタ自動車年600万台の車を生産しトヨタ銀行』を言われるほどの財務内容の世界トップクラスの会社である。しかし!昭和25年、倒産の危機にあったことはあまり知られていない。


軍用トラックが故障で売れず、銀行に融資を止められ、給料が払えずに、6000人のストライキが起き、数千人の大リストラの責任をとり、創業社長は辞任に追い込まれたのだ。
…命運を託されたのは、叩き上げの主任、中村健也、国産乗用車の開発に打って出た。部品総数2万点、しかし、バネは折れ、クルマはズタズタ…。(T_T)


国は言った、『日本には乗用車など造れない。3歳児がオリンピックに出るようなものだ』
そこにアメリカから誘いの手が伸びた、うちの車を造らないか?その時リーダーは茨の道を決断した。これは自動車王国日本誕生の壮絶な物語である…。


という田口トモロヲの冒頭のナレーション。いや〜、スゴイね〜!あのトヨタにこんな時代があったとはね〜オドロキだ!そしてトヨタを代表する車、クラウン開発主査の中村健也氏のこの言葉がいい。


『開発は先の見えない夜行列車のようなもの。先は見えなくても度胸で走り続けろ!』


国産は無理だといわれた時の、アメリカから、ウチの車を作らないか?…クウ〜!(>_<)、悪魔のささやきかもしれない…。これで妥協していたら、今日のトヨタはないよね。(^^♪

クラウンは、昭和30年1月完成。翌年、朝日新聞からロンドン〜東京をクラウンで走りきる企画が持ち上がり、無事に完走することによって、本格的な国産乗用車として人気を博す。それだけではなく、中村氏は、世界初のハイブリット車=プリウスの開発まで担当するのだ。


何事も一朝一夕にはできないんだね〜。先人たちの汗と涙に感謝!<(_ _)>